小林国司

小林国司
こばやし くにじ
生年月日 1908年1月10日
出生地 日本の旗 日本 鳥取県
没年月日 (1993-07-09) 1993年7月9日(85歳没)
出身校 東京帝国大学農学部農業土木科卒業
前職 農林省職員
所属政党 自由民主党
称号 正四位
勲二等旭日重光章

選挙区全国区→)
鳥取県選挙区
当選回数 3回
在任期間 1968年7月8日 - 1980年7月7日
1981年 - 1986年7月7日
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小林 国司(こばやし くにじ、1908年明治41年)1月10日[1] - 1993年平成5年)7月9日[1])は、昭和期の農業技術者、農林官僚政治家参議院議員(3期、自由民主党)。

経歴

鳥取県出身[1][2]1936年(昭和11年)東京帝国大学農学部農業土木科を卒業[1][2]。農林省に入り、農地局設計課長、同建設部長、北陸農政局長、八郎潟新農村建設事業団理事、全国土地改良事業団連合会副会長などを歴任した[1][2]

1968年(昭和43年)7月の第8回参議院議員通常選挙全国区から自由民主党公認で立候補して初当選[3]。1974年(昭和49年)7月の第10回通常選挙(全国区、自由民主党公認)でも再選され[3]、参議院議員を連続2期務めた。1980年(昭和55年)の第12回通常選挙には立候補しなかったが、翌1981年(昭和56年)11月、石破二朗の死去に伴う第12回通常選挙鳥取県地方区補欠選挙に自民党公認で立候補して当選し[4]。同年の春の叙勲で勲二等瑞宝章受章[5][6]。国会内では参議院農林水産委員長、同懲罰委員長、同公職選挙法改正に関する特別委員長などを務め、党内では参議院自由民主党副幹事長を歴任した[2]。参議院議員を3期務めて[2]1986年(昭和61年)に引退[1](後継者は坂野重信)。1990年秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章[5][7]

その他、(株)新農村開発センター社長、日本技術士会会長、鳥取県土地改良事業団体連合会会長なども務めた[2]。1993年7月9日死去、85歳。死没日をもって正四位に叙される[8]

脚注

  1. ^ a b c d e f 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』252頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』306頁。
  3. ^ a b 『国政選挙総覧 1947-2016』550頁。
  4. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』497頁。
  5. ^ a b "小林 国司". 新訂 政治家人名事典 明治~昭和. コトバンクより2022年12月30日閲覧
  6. ^ 『官報』号外第35号1頁 昭和56年5月8日号
  7. ^ 『官報』号外第140号17頁 平成2年11月5日号
  8. ^ 『官報』第1210号11-12頁 平成5年8月3日号

参考文献

  • 『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056
  • 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。


議会
先代
岡田広
日本の旗 参議院懲罰委員長
1983年 - 1984年
次代
安西愛子
先代
佐藤隆
日本の旗 参議院農林水産委員長
1976年 - 1977年
次代
橘直治
日本の旗 参議院懲罰委員長 (1983年-1984年)
日本の旗 参議院農林水産委員長 (1976年-1977年)
第1回
(定数100)
3年議員
偶数回
第2回
(定数50)
3年議員
第4回
(定数50)
3年議員
第6回
(定数50)
3年議員
第8回
(定数50)
3年議員
第10回
(定数50)
3年議員
第12回
(定数50)
奇数回
第3回
(定数50)
3年議員
第5回
(定数50)
3年議員
第7回
(定数50)
3年議員
第9回
(定数50)
第11回
(定数50)
†:当選無効・失格など、↓:途中辞職・死去など、↑:繰上げ当選または補欠選挙で当選(合併選挙で当選した3年議員を除く)。