水久保甚作

水久保 甚作(みずくぼ じんさく、1884年明治17年)6月 - 1973年昭和48年)3月20日)は、日本政治家衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)。

経歴

宮崎県都城出身[1]。水久保源助の長男[1]明治大学法学部卒業。1907年裁判所書記登用試験を通り同職を経て岩川郡、都城税務署庶務課長となる[1]。税務代理士を始め1907年、都城市会議員となり、同市農会総代、同所得調査委員、1928年に衆議院議員に当選[1]立憲政友会、当選2回)。1947年、第1回参議院議員通常選挙で当選して参議院議員全国区、3年議員)になり、参院郵政委員長となった。また、都城市農会総代、都市計画委員、都城新聞社副社長なども務めた。

1965年秋の叙勲で勲三等旭日中綬章受章(勲四等からの昇叙)[2]

1973年3月20日死去、88歳。死没日をもって正五位に叙される[3]

脚注

  1. ^ a b c d 人事興信録 第15版 下 ミ之部 ミ十三
  2. ^ 『官報』第11670号15頁 昭和40年11月4日号
  3. ^ 『官報』第13876号16-17頁 昭和48年3月29日号

参考文献

  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。  ISBN 978-4171648100
議会
先代
山田佐一
日本の旗 参議院郵政委員長 次代
鈴木安孝
日本の旗 参議院郵政委員長
第1回
(定数100)
3年議員
偶数回
第2回
(定数50)
3年議員
第4回
(定数50)
3年議員
第6回
(定数50)
3年議員
第8回
(定数50)
3年議員
第10回
(定数50)
3年議員
第12回
(定数50)
奇数回
第3回
(定数50)
3年議員
第5回
(定数50)
3年議員
第7回
(定数50)
3年議員
第9回
(定数50)
第11回
(定数50)
†:当選無効・失格など、↓:途中辞職・死去など、↑:繰上げ当選または補欠選挙で当選(合併選挙で当選した3年議員を除く)。