佐竹義住

曖昧さ回避 佐竹義処」あるいは「佐竹義純」とは別人です。
 
凡例
佐竹義住
時代 戦国時代
生誕 永正16年(1519年[1]
死没 天文8年7月7日(1539年8月20日
主君 佐竹義篤
氏族 佐竹北家
父母 父:佐竹義信
兄弟 義住義廉
養子:義廉
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佐竹 義住(さたけ よしずみ)は、戦国時代の武将佐竹義信の長男。佐竹北家第2代当主。

天文2年(1533年)に父が死去したため、家督を継いで佐竹北家の当主となり、本家の佐竹義篤の補佐を務めた。天文3年(1534年)から激化した義篤と宇留野義元の家督争いでは義篤を支持して義元と戦ったが、天文8年(1539年)に部垂で戦死した。

継嗣が無かったため、弟の義廉が養子となって跡を継いだ。

脚注

  1. ^ 『新編佐竹氏系図』(加賀谷書店、1973年)p.140
五本骨扇に月丸紋佐竹北家第2代当主(1533年 - 1539年)
宗家

分家・支流

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岩崎分家
北家
東家
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西家