石江
石江 | |
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石江 石江の位置 | |
北緯40度40分44.71秒 東経140度42分3.84秒 / 北緯40.6790861度 東経140.7010667度 / 40.6790861; 140.7010667 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 青森県 |
市町村 | 青森市 |
設置 | 2018年(平成30年)6月30日 |
人口 | |
• 合計 | 7,499人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 | 038-0003 |
市外局番 | 017 |
ナンバープレート | 青森 |
石江(いしえ)は青森市の地名。石江一丁目から石江五丁目までが設置されている。また、大字石江がある。郵便番号038-0003。
地理
石江は、青森市市街地西部にあり、沖館川と新城川の間の、青森湾からやや内陸に入った場所に位置する。東は富田、西滝、南は三内、西は新城、北は三好・大字新田と接する。地域のほとんどが住宅地となっている。
交通
鉄道
道路
バス
大半は、青森県道247号鶴ケ坂千刈線を経由する。一部が国道7号青森西バイパスを経由する。
歴史
藩政時代は、石神(いしかみ)村と呼ばれていた。元々は稲作・畑作中心の農村であった。
枝村に相野(あいの)があった。場所は大字石江の東部であるという。現在でもその名は富田地区(旧石江字富田)の一部に通称地名として残る。
- 1871年(明治4年)- 石神村を経由して、新城と青森をほぼ直線でつなぐ道路が完成した。この新道は、青森と弘前をつなぐ幹線道路の一部となった。現在の青森県道鶴ヶ坂千刈線に相当する。同年、新道の沿道に江渡(えど)村が成立した。
- 1875年(明治8年)- 石神村と江渡村が合併し、石江村となった。小字は、江渡・平山・高間・富田・岡部・三好。
- 1889年(明治22年)- 周辺の村とともに、新城村に合併。大字石江となる。
- 1909年(明治42年) - 字 平山の南部に、北部保養院が設置された。後の国立療養所松丘保養園である。
- 1955年(昭和30年) - 新城村の青森市への合併に伴い、石江は青森市の大字となる。
- 1972年(昭和47年)- 国道7号青森西バイパスが大字石江を通過して開通。
- その後、一部が、富田一~五丁目・三好一~三丁目となる。
- 2018年(平成30年)6月30日 - 一部が石江一~五丁目となった。[2]
石江一丁目 石江字高間の一部、新田字忍の一部 石江二丁目 石江字高間の一部 石江三丁目 石江字高間の一部、新城字平岡の一部 石江四丁目 石江字高間の一部、新城字平岡の一部、新田字忍の一部 石江五丁目 石江字高間の一部、新城字福田の一部、新城字平岡の一部
施設
- 青森県視覚障害者情報センター
- 青森県 中央児童相談所
- 青森県立あすなろ療育福祉センター
- 青森県立青森第一養護学校
- 青森農業協同組合あすなろ支店
- 青森新都市病院
脚注
関連項目
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※地域区分(地区区分表・地区区分図で使用されているもの)ごとに表示する。 | |
東地区 | |
中心地区 | |
南地区 | |
西地区 | |
東部地区 | 浅虫 | 泉野 | 後萢 | 久栗坂 | 三本木 | 平新田 | 滝沢 | 野内 | 馬屋尻 | 宮田 | 矢田 | 八幡林 | 桑原 | 沢山 | 諏訪沢 | 築木館 | 戸崎 | 戸山 | 赤坂 | 蛍沢 | 月見野 |
南東部地区 | 牛館 | 大矢沢 | 幸畑 | 合子沢 | 新町野 | 田茂木野 | 野尻 | 雲谷 | 横内 | 四ツ石 | 駒込 |
西部地区 | 岩渡 | 鶴ケ坂 | 戸門 | 孫内 |
南部地区 | 荒川 | 上野 | 大谷 | 大別内 | 小畑沢 | 金浜 | 小館 | 高田 | 入内 | 野木 | 野沢 | 細越 | 八ツ役 |
北部地区 | 飛鳥 | 後潟 | 内真部 | 奥内 | 小橋 | 四戸橋 | 清水 | 瀬戸子 | 西田沢 | 左堰 | 六枚橋 | 前田 |
浪岡地区 | 相沢 | 王余魚沢 | 北中野 | 吉内 | 郷山前 | 五本松 | 下石川 | 下十川 | 銀 | 杉沢 | 大釈迦 | 高屋敷 | 樽沢 | 徳才子 | 長沼 | 浪岡 | 細野 | 本郷 | 増館 | 女鹿沢 | 吉野田 | 福田 |
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