石ノ森章太郎

いしのもり しょうたろう
森 章太郎
本名 小野寺 章太郎(おのでら しょうたろう)
生誕 (1938-01-25) 1938年1月25日
宮城県登米郡石森町(後の旧中田町、現在の登米市
死没 (1998-01-28) 1998年1月28日(60歳没)
東京都文京区順天堂大学医学部附属順天堂医院[1]
国籍 日本の旗 日本
職業 漫画家
称号 勲四等旭日小綬章
活動期間 1954年 - 1998年
代表作
受賞
公式サイト https://ishimoripro.com/
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森 章太郎[注釈 1](いしのもり しょうたろう、1938年昭和13年〉1月25日[2][3] - 1998年平成10年〉1月28日[3])は、日本漫画家。本名は小野寺 章太郎(おのでら しょうたろう)[3]1984年までは「石森 章太郎」の表記を使用していたが、この時期には「いしもり しょうたろう」と呼ばれるのが通例だった。

概要

SF漫画ギャグ漫画から学習漫画まで幅広いジャンルの作品を量産し、“漫画の神様”手塚治虫との対比で「漫画の王様」[4][5]、「漫画の帝王」[6] と評された。

代表作は『サイボーグ009』『佐武と市捕物控』『009ノ1』『さるとびエッちゃん』『人造人間キカイダー』『マンガ日本経済入門』『HOTEL』など[3]仮面ライダーシリーズがんばれ!!ロボコンを始め、特撮作品の原作者としても活躍した。

昭和30年代から40年代、漫画の世界で新しい手法の開発者としてとくに目立った存在であり、多様な分野と作風の中でも特にSF漫画で他への影響が手塚と並んで大きく、いわゆる手塚風漫画の中で最もスタイリッシュな作風で、各時点での新鮮な画面コマ表現と少女漫画にも通用する滑らかな線をもち、昭和40年代始めごろには漫画の王様と呼ばれていた。この時期の作風は、SF(S&F)性・詩的叙情・アクションを含むことが多かった。それらの要素は1971年に放送開始された『仮面ライダー』以降、徐々に特撮作品へと移っていき、執筆する漫画の傾向は青年漫画や学習漫画など幅広いものとなっていった。

1989年平成元年)、漫画には「面白い、おかしい」だけではない多数の表現が可能になったとして、漫画の新しい呼び名「萬画」を提唱し「萬画宣言」を発表した[注釈 2]。以降は自らの職業を「漫画家」ではなく「萬画家」と称した。没後の2007年末には、500巻770作品におよぶ個人全集『石森章太郎萬画大全集』(角川書店)が、一人の著者による最も多い漫画の出版の記録としてギネス・ワールド・レコーズに認定されている[注釈 3]。なお、テレビ原作者(アニメ・実写)としてのクレジットは放映期間のべ六十数年分に及び、野村胡堂長谷川町子らを凌駕して国内最高で、2020年現在も更新し続けている。

妻の小野寺利子は石森グループ会長。息子に俳優の小野寺丈(長男)と石森プロ社長の小野寺章(次男)がいる。脚本家の石森史郎は従兄弟[7]。小説家の今野敏はとこ[8]

経歴

生い立ち

登米市中田町石森の石森章太郎生家。一般公開されている。

1938年(昭和13年)1月25日[注釈 4]宮城県登米郡石森町(中田町石森を経て現・登米市中田町石森[3][注釈 5]に、父・康太郎、母・カシクの長男として生まれる。姉、弟2人、妹の5人兄弟。下記にもあるように当初は映画監督を志していたが、3歳上の姉である小野寺由恵は生来病弱で外出もままならないため、学校での出来事や外での見聞などを絵に描いて見せていたのが、漫画の原点であったという。

小学生のころは単行本や雑誌を読むのが好きで、あるとき手塚治虫の『新宝島』に出会い衝撃を受け、以後手塚治虫の大ファンとなる[11]

1950年(昭和25年)、中学生になり手塚治虫にファンレターを出したところ返事が戻ってきたことでますます漫画に夢中になり、2年生のとき初めて4コマ漫画を「毎日中学生新聞」に投稿したところ入選、以後投稿マニアとなる。近所の子供を集めて研究会をつくり会誌墨汁一滴』を作成(このときは2号で廃刊)、投稿漫画を募集していた『漫画少年』で批評を担当していた手塚治虫の元に送ったりした[11][12]

1953年(昭和28年)、宮城県佐沼高等学校[注釈 6]に入学。『漫画少年』への投稿仲間を集めて「東日本漫画研究会」を設立、肉筆回覧誌『墨汁一滴』を制作する[11]。第一期の会員には赤塚不二夫横田徳男長谷邦夫横山孝雄高井研一郎徳南晴一郎などがいた[11]。このころ既に漫画業界で「宮城県に天才がいる」と評判になっている。このころのあだ名は「じゃがいも」。高校2年生の春(5月)、手塚治虫より仕事を手伝って欲しいとの電報が届き、『鉄腕アトム』のアシスタントを務める[11][12]

高校在学中の1954年(昭和29年)[3][注釈 7]、手塚治虫の仲介で、石森は『漫画少年』でデビューすることになる[15]。デビュー作は、1954年12月発売の『漫画少年』1955年新年号[16]に掲載された『二級天使』[3]

デビュー以後

1956年(昭和31年)、厳格な公務員であった父からは漫画家になることを反対されていたが、喘息持ちの由恵が両親を説得するなど熱心に応援してくれたこともあり、高校卒業と同時に上京、下落合に下宿する。5月からトキワ荘に移り、15日には病気治療も兼ねて由恵も上京する。手塚をはじめ多くの漫画家たちが住んでいたトキワ荘に住み、作家活動を始めた。トキワ荘グループの男性陣の中では最年少ではあったが、最も早く頭角を現し、赤塚不二夫[注釈 8]などは、自分の漫画を描くよりも、石森のアシスタントをする時間の方が多いほどだった。

しかし1958年(昭和33年)4月4日、トキワ荘で石森と同居し、トキワ荘グループのマドンナ的存在となっていた由恵が急逝した[注釈 9]。最大の理解者であった姉を失ったことは、後の石森の作風にも大きな影響をもたらした。

1959年(昭和34年)、手塚のアシスタントだった月岡貞夫とともに、手塚の身代わりとして東映動画(現・東映アニメーション)の劇場アニメ『西遊記』の制作現場に派遣された。石森は月岡とともに「このまま東映動画に入ってアニメーションをやりたい」と訴えたが、当時東映動画の若手スタッフだった白川大作(後に東映動画専務)から「(絵が個性的でアニメに向かないから)ちゃんと漫画をやれ。そのかわり漫画が売れたらそれを原作として買いに行く」と説得されて断念した[17][注釈 10]。後にこのときの約束通り東映動画で作品がアニメ化された。さらに東映本体での特撮番組企画へとつながる東映グループとの接点のきっかけとなる。

藤子、赤塚らと共にトキワ荘に長く住み、国民的売れっ子作家に上り詰めた中でも、もっとも遅い時期まで石森はトキワ荘に住み続けた。

1961年(昭和36年)8月24日より70日間の海外旅行に出掛ける[18]。当時は海外旅行が自由化される前で、単なる「観光」では旅行許可が下りなかったため、集英社に依頼しシアトルで開かれるSF大会の取材という名目で臨時に「取材記者」の肩書きを入手している[19]。貯金がなかったため、旅費も各出版社から前借りした[19]。SF大会では、矢野徹の紹介状をSFファンダムで有名なフォレスト・J・アッカーマンに渡し、ロバート・A・ハインラインポール・アンダースンらを紹介してもらう[20][注釈 11]。なおこの旅行は、『少女クラブ』などの雑誌の廃刊が続いたことのショックや、姉の死からの逃避行という面も持っていた[22]

1962年(昭和37年)、トキワ荘を転出する[12]。1963年(昭和38年)5月、鈴木伸一らとアニメーション制作会社「スタジオ・ゼロ」を設立[12]

スター作家として

森萬画館の最寄駅であるJR石巻駅に飾られた人気作品の人形(左側:仮面ライダー、右側:サイボーグ009)。
009が描かれた松島救難隊創設50周年記念塗装機。所属は石巻に隣接する東松島市松島基地

1964年、手塚治虫の仲人により結婚[12]。また12月に発足した日本漫画家協会に入会する[12]

1964年(昭和39年)7月19日より『少年キング』にて代表作となる『サイボーグ009』の連載を開始する。この頃にはすでにスター作家となっており、この時期に描かれた石森のマンガ入門書『マンガ家入門』(1965年)、『続・マンガ家入門』(1966年)は当時から広く読まれた。これは漫画の技術論から、具体的なストーリー構想術までが書かれた画期的な漫画家入門書で、長年の間漫画家志望者のバイブルとなった。また、『サイボーグ009』を連載していた当時、ファンレターの宛先が漫画家の住所となっていたため多数の読者が訪問していた[23]すがやみつるが『サイボーグ009』の連載終了直後に訪問したときは、サインを貰いにきた別の訪問者に対して、訪問者に見えないところで当時チーフアシスタントであった永井豪が絵だけではなくサインまで書き上げて渡していたという[23]。このような対応を行わないと仕事にならないほど訪問者がきていたことが原因である[23]

1966年(昭和41年)、『ミュータント・サブ』『サイボーグ009』により第7回講談社児童まんが賞を受賞[12]

1968年(昭和43年)、石森章太郎プロを設立。『ジュン』『佐武と市捕物控』により第13回小学館漫画賞を受賞[12]

1971年(昭和46年)より、東映特撮作品『仮面ライダー』の原作とその漫画化(仮面ライダー)を担当した[3]。この成功をきっかけに同社における数多くの特撮・変身ヒーロー番組の原作を手がけることになった。もともと映画監督志望だったこともあり、一部の作品(『仮面ライダー』や『イナズマン』)では監督も務めている。

1981年(昭和56年)より日本漫画家協会理事を務める[12]

1985年(昭和60年)[注釈 12]、画業30年を機に「石森章太郎」から「石森章太郎」に改名した[3]。もともと彼のペンネームは故郷の石森町に由来するもので、「石森」と書いて「いしのもり」と読ませるつもりだったが、誰も「いしのもり」と読んでくれず、「いしもり」としか呼ばれなかったため、初心に戻る意味をこめて改名を行なったという。しかし、山田ゴロが自身のサイトで語るところによると、改名する前は打ち合わせ・旅行・忘年会などの季節行事で関係者一同に頻繁に会っていたのが、改名したころからはそれがなくなり、石森プロに連絡しても会わせて貰えなくなった[25]。ほどなく関係者一同の間で「先生は御病気らしい」という話が広まったという。

1988年(昭和63年)、『HOTEL』などにより第33回小学館漫画賞を、『マンガ日本経済入門』により第17回日本漫画家協会賞大賞を受賞[12]

1989年(昭和64年/平成元年)、『マンガ日本の歴史』の描き下ろしを始めるにあたり「萬画宣言」を発表[26]

1992年(平成4年)4月、突然高熱を出し入院する。風邪によく似た症状だったが、検査の結果悪性リンパ腫と診断された。その後も闘病生活の傍ら執筆活動を続けたが、1997年秋に病状が悪化し再入院。1998年(平成10年)1月28日東京都文京区順天堂大学医学部附属順天堂医院リンパ腫による心不全のため死去、60歳没[1][3]。還暦を病院で迎えてから僅か3日後のことであった。戒名は「石森院漫徳章現居士」。墓は東京都豊島区池袋三丁目の祥雲寺にある。

没後

1998年(平成10年)、没後、勲四等旭日小綬章、全作品に対して第27回日本漫画家協会賞文部大臣賞、漫画と漫画界への長年の貢献に対して第2回手塚治虫文化賞マンガ特別賞が贈られる。

2000年(平成12年)7月20日、故郷である宮城県登米市中田町に「石森章太郎ふるさと記念館」が設立[27]

2001年(平成13年)7月、宮城県石巻市に「石森萬画館」設立[28]

2006年(平成18年)、『石森萬画大全集』刊行開始。

2008年(平成20年)、ギネス・ワールド・レコーズにおいて手塚治虫の「講談社手塚全集」全400巻の記録を「石森萬画大全集」全500冊によって更新、「世界一多作な漫画家」に認定。ギネス世界記録博物館の名誉館長に就任。

年表

人物・作風

トキワ荘時代、病気療養を兼ねて上京し同居していた姉の由恵は美人で有名であり、トキワ荘のマドンナ的存在であった。ある晩、寝床で由恵が石ノ森に好きな人ができたと告げたという。由恵の死後、石ノ森はこのことを相手の名前を伏せた上で公表したが、複数の関係者によると、相手は藤子不二雄Ⓐだという。

アシスタント経験者かつ弟子でもある永井豪は、石森のことを「常人の5倍のスピードで描ける天才」と評している[30]

藤子不二雄[注釈 13]やのちに石森のアシスタントを務めた永井豪など、石森を知る人間は口を揃えて制作の速さを証言している。藤子の『まんが道』では、藤子が2人で1日に5、6枚描ければよいところを、石森は1人で15-20枚を描いていたという話が出てくる。また石森のエッセイ漫画『サンジェルマン伯爵』(サイボーグ009「海底ピラミッド編」のエピローグに相当)には、「昔(赤塚不二夫と2人で描いていた時代)は月650枚という無茶もやったが、最近では歳だから300枚でフウフウいう」とある。

島本和彦は文庫版『石森章太郎のマンガ家入門』の解説で、「石森章太郎は考えずに、考えたあとの結果を惹きだせる作家ということになる。(中略)その後、石森章太郎本人にたずねたことがあるが、この私の理解は正しかった。描くときは「感覚」で描くのだ。しかも「考えながら描くと良いものが出ない」ということなのだ」と書いている[31]

ヘビースモーカーで灰皿をすぐ一杯にするため、トキワ荘時代は赤塚不二夫が気を利かせてこまめに交換していたという[32]

手塚治虫の衣鉢を継ぐSF漫画の第一人者であったが、熱心なSFの読者としても知られ、海外SF小説から作品のヒントを得ていたことも指摘されている[23]し、本人も作中でよく紹介している。

映画から受けた影響

子供のころから熱狂的な映画ファンとして知られ、古今東西の映画に通じており、日本映画からハリウッド映画、フランス映画、イタリア映画、イギリス映画に、『ヴェラクルス』やジョン・フォード駅馬車』『荒野の決闘』などの西部劇や時代劇に恋愛・サスペンス・アクション・SF・コメディ・B級映画の秀作、007シリーズなど、監督は日本の黒澤明やアメリカのフォードやチャーリー・チャップリンアルフレッド・ヒッチコック、フランスのルイ・マルアンリ=ジョルジュ・クルーゾーに俳優は三船敏郎ジャン・ギャバンジョン・ウェインイングリッド・バーグマンジャンヌ・モローマリリン・モンローオーソン・ウェルズなど。評判の名画は何でも見る語る部類の映画好きであり、同じく大の映画ファンであった手塚や赤塚、藤子らと映画を見て語り映画に狂った青春を過ごし、自身の漫画作品に絶大な影響を受けたことは彼ら自身の発言や作品(特に藤子のまんが道[33])、著書,でも多く見られる[34]

内田吐夢時代劇に深い影響を受けており、特に原作版仮面ライダーになどに影響を与えた[35]。またライダーにはジョン・ウェイン西部劇の影響も強く受けている[36]


特撮原作者として

石ノ森が原作を手掛けた特撮テレビドラマは、既にある漫画の実写映像化ではなく、製作会社である東映の企画に設定とキャラクターデザインを提供し、出来上がったものを元に漫画も執筆するというものであった。

『仮面ライダー』以後、自身が原作を手がける特撮テレビ番組の漫画連載も多く担当したが、これらはパブリシティ展開として義務付けられていたものであり、テレビ作品の雑誌連載はやりたくないというのが本音であったと述べている[2]。特に作中へテレビ用のキャラクターを登場させると物語に無理が生じることにジレンマを抱えており、後発の『秘密戦隊ゴレンジャー』などではテレビ版とは異なる内容で執筆している[2]。小学生時代にこれらの作品を読んでいた東映の白倉伸一郎は、石森のコミカライズは深いテーマを内包しているが、連載期間内では処理しきれないことが多いと評している[37]

原作者として参加したテレビ作品に対しては技術的な部分以外に不満はないとしているが、自身の既存の作品を映像化する際は身を切られるような想いであったといい、『サイボーグ009』や『好き! すき!! 魔女先生(千の目先生)』などの設定変更には抵抗があったことを語っている[2]

これらの実写作品では、主役などのレギュラーのキャラクターデザインを石森が手がけるのが通例だったが、『仮面ライダーストロンガー』以降の仮面ライダーシリーズや『アクマイザー3』『秘密戦隊ゴレンジャー』『ジャッカー電撃隊』などの1970年代中期以降の作品では、毎回登場するゲストのキャラクター(敵の怪人)のデザインも数多くおこなっている。ゲストのキャラクターのデザインの多くは簡単な設定込みで石森がラフスケッチを起こすという形で行われ、このラフスケッチをもとに番組スタッフ側でシナリオや着ぐるみがつくられた[38][注釈 14]。ただし、必ずしも石森のラフが尊重されたわけではなく、造形スタッフ側で大幅にアレンジされることもあった[38][注釈 15]

主要作品リスト

※五十音順

外部原作者作品

特撮原作

この欄で紹介する作品は、テレビ番組の企画のブレーンとしての参加であり、テレビの企画が先行し漫画が原作というわけではない(詳細は上記の「経歴」を参照)。また、自らは漫画を描いていない作品も多い。

以下は没後製作されたが、著作権管理を一括する配慮からテロップでは原作者とされている。

共作扱い

スーパー戦隊シリーズ」の原作は、第1作『秘密戦隊ゴレンジャー』と第2作『ジャッカー電撃隊』のみ石森(当時は「石森」)が担当し、第3作『バトルフィーバーJ』以降は八手三郎に交代した。ただし、秘密戦隊ゴレンジャーとジャッカー電撃隊も登場する場合や「仮面ライダーシリーズ」とのクロスオーバーでは、石森も連名でクレジットされている。

  • 暴太郎戦隊ドンブラザーズ meets 仮面ライダー電王 目指せ!ドン王 デン1話-デン3話
  • 暴太郎戦隊ドンブラザーズ - スペシャルサンクスとしてクレジット

なお、『仮面ライダーディケイド』第24話・第25話と第33作『侍戦隊シンケンジャー』第20話・第21話(両作品のクロスオーバー)においては、『ディケイド』では石森のみが、『シンケンジャー』では八手のみがそれぞれ原作者としてクレジットされた。第39作『手裏剣戦隊ニンニンジャー』第7話にはアカレンジャーが登場しているが、石森のクレジットはなかった。

一方、石森(石森)が単独原作者とされる東映作品(『宇宙鉄人キョーダイン』『快傑ズバット』『氷河戦士ガイスラッガー』など)において、八手が作詞者としてクレジットされている楽曲が多い。

アニメ 原作

以下は没後の製作。

テレビドラマ原作

以下は没後の製作。

  • おみやさん - 石森の漫画「草壁署迷宮課おみやさん」が原作になっている。

この他、『新・おみやさん』2012年版第1話と『京都地検の女』2012年版第1話では両作品同士のクロスオーバーが行われたが、『京都地検の女』では石森は原作者としてクレジットされていない。

映画原作一覧

アニメ映画

  • 空飛ぶゆうれい船
  • サイボーグ009
  • サイボーグ009 怪獣戦争
  • サイボーグ009 超銀河伝説
  • 幻魔大戦
    平井和正との共作を元としたアニメ作品。製作にも携わっている。
  • 009 RE:CYBORG

実写映画

他作家が執筆した作品の原作

映像作品のコミカライズ、ノベライズは除く。

漫画

仮面ライダーシリーズの漫画作品は、仮面ライダーシリーズ#他の作家による漫画作品を参照。

小説

作詞

  • 戦いおわって - 『サイボーグ009』(テレビ版第1作)ED
  • 原始少年リュウが行く - 『原始少年リュウ』OP
  • ランのうた - 同ED
  • がんばれロボコン - 『がんばれ!!ロボコン』OP
  • ゴーゴー・キカイダー - 『人造人間キカイダー』OP
  • キカイダー01 - 『キカイダー01』OP
  • 月光の子守唄 - 『好き!すき!!魔女先生』ED
  • 地獄のズバット - 『快傑ズバット』OP
  • 戦えイナズマン - 『イナズマン』OP
  • イナズマン・アクション - 『イナズマンF』ED
  • 勝利だ!アクマイザー3 - 『アクマイザー3』OP
  • 斗え!!超神ビビューン - 『超神ビビューン』OP
  • 宇宙鉄人キョーダイン - 『宇宙鉄人キョーダイン』OP
  • オー!!大鉄人ワンセブン - 『大鉄人17』OP
  • 透明ドリちゃん - 『透明ドリちゃん』OP
  • やがて青春 - 『それゆけ!レッドビッキーズ』OP
  • 勇者よ銀河を渡れ - 『宇宙からのメッセージ銀河大戦』OP
  • 星雲仮面マシンマン - 『星雲仮面マシンマン』OP
  • たたかえ!バイクロッサー - 『兄弟拳バイクロッサー』OP
  • ロボット8ちゃん - 『ロボット8ちゃん』前期OP
  • 8ちゃんのえかき唄 - 同後期ED
  • ロボットガンちゃん110番 - 『ロボット110番』OP
  • 誰がために - 『サイボーグ009』(テレビ版第2作)OP
  • 星の子チョビン - 『星の子チョビン』OP
  • 星のしずくの子守唄 - 同ED
  • 氷河戦士ガイスラッガー - 『氷河戦士ガイスラッガー』OP

など。

仮面ライダーシリーズ 関連楽曲

など。

スーパー戦隊シリーズ 関連楽曲

著書

  • 『世界まんがる記 : 外貨ムダづかい旅行』三一書房〈三一新書〉、1963年5月4日。NDLJP:2983789。 
    • 『世界まんがる記』中央公論社〈中公文庫〉、1984年5月10日。NDLJP:12164602。 
    • 『世界まんがる記 - 50年前の世界一周』清流出版、2008年
  • 『少年のためのマンガ家入門』秋田書店、1965年
  • 『続 マンガ家入門』秋田書店、1966年
  • 『石森マンガ教室』黒崎出版、1969年
  • 『石森章太郎・落書ノート - 体験的創作論』小学館、1980年
  • 『章説・トキワ荘・春』スコラ、1981年
    • 『トキワ荘の青春 - ぼくらの漫画修業時代』講談社文庫、1986年
    • 『章説 トキワ荘の青春』中公文庫、2018年 ISBN 978-4122066472
  • 『レオナルド・ダ・ビンチになりたかった』ポプラ社、1983年
    • 『石森章太郎の青春』小学館文庫、1998年
    • 『ボクはダ・ヴィンチになりたかった』清流出版、2008年 ISBN 978-4860292522
  • 『石森章太郎のマンガ家入門』秋田書店、1988年(『少年のためのマンガ家入門』と『続 マンガ家入門』を合わせて再編集したもの)
    • 『石森章太郎のマンガ家入門』秋田文庫、1998年 ISBN 978-4253172509
  • 『絆 - 不肖の息子から不肖の息子たちへ』鳥影社、2003年 ISBN 978-4886297952

森章太郎萬画大全集

角川グループ創立60周年の記念企画。2006年2月22日第1期発売開始。全12期500冊。770タイトルにもなる。2008年現在全12期発行完了。

ネットでの予約販売のみ(一般書店では購入不可能)、各期ごとのセット販売のみ(1冊ずつの購入は不可能)、限定生産という、入手を難しくする条件が重なったため、復刊ドットコムで販売形式が発表された当初は、掲示板に批判的な意見が多数寄せられた。

2008年1月24日ギネス・ワールド・レコーズから「1人の著者によって出版された最多コミックの記録」として世界記録の認定を受けた[41]

2014年〜2015年には、同様の企画として電子書籍『石森章太郎 デジタル大全』(石森プロ・講談社)の配信が開始されている。(全15期500冊)[42] こちらは1冊から購入可能になっている。

キャラクターデザイン

上のアニメや特撮の原作となった作品のキャラクターは省いている。

その他

  • 鉄腕アトム ミドロが沼の巻 - 原画マンのうちのひとりとして。※ スタジオ・ゼロが虫プロダクションから制作を受けたもの。アトムなどの絵柄が各人ごとにバラバラであったために、虫プロは大幅に手直し作業をしたとされる。
  • オバケのQ太郎 - 作画協力
  • 森章太郎のマンガ超電導講座(講談社Quark編) - 漫画作品(高温超電導体の発見、フィーバーの様子を独特の表現で描いた)
  • シージェッター海斗
  • デューン 砂の惑星/砂の救世主/砂の子供たち(長編SF小説、早川書房) - 日本語初期版の表紙イラストと挿絵
  • ルパン三世 DEAD OR ALIVE - モンキー・パンチ応援団の参加者。
  • コズミックゲリラ - ユニバーサルのアーケードゲーム、石森プロとしてコンセプトデザインを担当
  • あしたの朝は星の上
  • 絆 不肖の息子から 不肖の息子たちへ(鳥影社) - 石森の話を書き下ろしにしたエッセイ
  • 2012 009 conclusion GOD'S WAR(サイボーグ009完結編) - 小説作品、小野寺丈との共著(膨大な量のプロットを作成したが実際の作品は一部の原稿を執筆したのみで未完、後に小野寺が引き継いだ)
  • 有害コミック騒動に対して - 「コミック表現の自由を守る会」を結成、表現の規制を抑止
  • ゆうばり国際ファンタスティック映画祭 - シネガーのキャラクターデザイン
  • 2008年は石森章太郎生誕70周年や没後10年でもあり、同年3月23日から29日にかけてNHK-BS2にて石森の漫画作品や映像原作作品を特集する「とことん!石森章太郎」が31時間超の異例の特別番組として放送され、また、「70周年記念DVDボックス」が発売されるなど記念行事的なイベントが続いた。
  • 猫が通れば道理引っ込む - エッセイ集

主な出演作品

原作者という立場ではあるが、いくつかの作品では、石森章太郎本人がテレビ番組や映画作品中に出演している。

出演時期によっては「石森章太郎」名義になっている。

テレビ

映画

ビデオ

ラジオ

関連人物

手塚治虫

手塚治虫と石森章太郎は単に知名度のみならず、漫画作品の質・量とも随一であり、共通するエピソードも多いため、節を分けて解説する。

デビュー前
石森章太郎は幼少の頃、手塚治虫・酒井七馬の「新宝島」に衝撃を受けて漫画家を志し、手塚の連載していた学童社の漫画少年誌の読者投稿欄に毎回送っていた。手塚は石森を「ズバ抜けたデッサン」「天才的な少年の絵」と評価し、それは次第に仕事を手伝って欲しいと思わせるようになる[44]
高校2年生の春、『鉄腕アトム』の「電光人間の巻」執筆中の手塚に「シゴトヲテツダツテホシイ」との電報を受け、学校を休んで上京し、中間テストを挟んで彼のアシスタントを務めた。このとき、背景や脇役だけを描けば充分であったにもかかわらず、アトムやヒゲオヤジなどのメインキャラクターまですべてを手塚タッチで描いてみせたため、手塚も度肝を抜かれたという。
手塚の仲介が入り、石森は漫画少年誌で漫画家としてデビューすることになる[15]。デビュー作「二級天使」の原稿を見た手塚は「かれもディズニーにいかれているな」と評したという[44]
デビュー後
高校卒業と同時に上京し、その1か月後には手塚の住んでいたトキワ荘に住む。
1959年(昭和34年)、手塚が制作スタッフとして加わっていた東映動画(現・東映アニメーション)の劇場アニメ『西遊記』の制作現場に、手塚から依頼されて助手として派遣された。漫画の執筆などにより、多忙で制作に参加できなくなった手塚が、自分の代わりとして当時手塚のアシスタントであった月岡貞夫とともに送り込んだのであった。
1967年(昭和42年)より虫プロ商事発行の『COM』に石森が連載した『ジュン』は、姉への愛情とその喪失を主題に、明確なストーリーを描かずに絵とコマの流れだけで叙情的な世界を表現した実験的な作品であり、当時の漫画読者に熱狂的に迎えられた。しかし、この時に手塚と石森の両方のファンであるという某読者が手塚に『ジュン』についての感想を求めた手紙に対し、手塚は「あれは漫画ではない」と『ジュン』への批判ととれる内容を返信した。その読者は、それを「手塚治虫はこのように評しています」と石森に送った。それを読んで衝撃を受けた石森は『ジュン』の打ち切りを宣言したが、直後に彼の住むアパートを手塚が一人で訪れ、「なぜあんなことを言ったのか分からない」と謝罪したというエピソードがある[45]。結局、『ジュン』はそれ以降も描き継がれ、『佐武と市捕物控』とともに1968年小学館漫画賞受賞作品となった。
その後に手塚と石森の関係は修復し、手塚は何度か石森を自身の漫画に登場させている。手塚が亡くなる少し前には、対談も行なっている[46]
手塚治虫の没後
1990年「手塚治虫展 フィルムは生きている」で、タイトル題字を藤子不二雄鈴木伸一馬場のぼるなどとの共同で担当。
没後、第2回手塚治虫文化賞マンガ特別賞が贈られる。

アシスタント

山田及びすがやのサイトによると、正確には「石森の作画作業を補助する、本来の意味のアシスタント」(こちらは石森スタジオと呼ばれていた)と、「石森プロ関連作品の漫画化やキャラクター商品などの絵描き」の二種類があり、両者は仕事場も別々で、どちらかしか担当したことがない者も多いという。例として永井は前者、すがやは後者である。石森が亡くなった際、葬儀は密葬にて行われたが、『ライダー』ブームから始まるテレビまんが誌黎明期に活躍していた門下生たちは直訴した結果、石森の家までの集団訪問を許されている。

森はすがやに対し「アシスタントは多かったが、弟子はすがやだけである」と述べている[47]

芸名を命名した俳優

森章太郎を演じた人物

ドラマ
映画
テレビアニメ

関連施設

森萬画館(2012年4月撮影)
森章太郎ふるさと記念館
森の人物と歴史に焦点を当てた展示施設[50][51]宮城県登米市の石森の生家に近くに所在する。2000年7月開館。
森個人の愛用品や収集物、記念品などを中心に展示している。
森萬画館
森作品を題材とした展示施設。石森が第2の故郷としていた宮城県石巻市に所在する。2001年7月開館。
2011年3月11日に東北地方太平洋沖地震の大津波で被害を受けたが、2012年11月17日再開館[29]
詳細は「石ノ森萬画館」を参照

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 「ノ」の字の表記については、石森が存命時、出版物や映像原作表示の際には、他の字に比して縦横2/3から1/2のサイズに表記する(「半角文字ではない」と言われる)ことが求められた。
  2. ^ この時期は青年以上向けのストーリー漫画は劇画と呼ばれる傾向があった。
  3. ^ それまでのギネスレコードは手塚治虫。
  4. ^ 松本零士と同じ生年月日である[9]
  5. ^ これが石森のペンネームの由来である。当時「軍隊生活 兵営便り」など軍隊漫画絵葉書で活躍していたイラストレーター・小野寺秋風の絵柄を嫌い、同じ苗字を避けて石森を名乗った[10]
  6. ^ 同校出身の漫画家に大友克洋がいる。
  7. ^ 書籍によっては1955年と記載している[13][14]
  8. ^ 初期の『少女クラブ』に掲載された作品には、赤塚不二夫との共同ペンネームいずみあすか名義、赤塚および水野英子との共同ペンネームU.マイア名義のものなどがある。
  9. ^ 石森章太郎 『トキワ荘の青春 ぼくの漫画修行時代』ISBN 978-4-06-183752-2 講談社〈講談社文庫〉、1986年、208頁によれば、死因は持病だった喘息の発作を抑えるための「モルヒネの打ちすぎによる心臓発作」。石森は、「姉が倒れて救急車を呼び、入院して注射を打ったところ、容態が安定した」ように見えたため、一旦トキワ荘に帰り、その後、赤塚、水野英子と共に映画を見るために外出。帰ったところに「病院に来る」よう、電報が届いた、と記述している。また、石森の姉が亡くなった当日、石森、赤塚と終日行動を共にしていた水野も自著『トキワ荘日記』(自費出版、2009年)の中で、石森の言動を含めて事態を詳細に記述している。さらに、この出来事は、石森、水野の証言と比べると、細部がかなり異なってはいるが、藤子不二雄Aの著作『愛…しりそめし頃に…―満賀道雄の青春』にも描かれている。
  10. ^ 『トキワ荘の青春 ぼくの漫画修行時代』、96頁によれば、「漫画(自分の仕事)と東映動画との両立が厳しい事が判ったから」、となっている。
  11. ^ この時に訪問した国・都市・名所は、アメリカに3週間(ロサンゼルスサンフランシスコニューヨークラスベガスディズニーランドグランド・キャニオン、シアトル)の他、イギリスロンドン)、フランスパリ)、オーストリアウィーン)、ドイツ東ベルリン西ベルリン)、オランダスペインマドリード)、イタリアローマミラノ)、ギリシャパルテノン神殿)、エジプトカイロピラミッドスフィンクス)、香港マカオなど[21]太字はサイボーグ戦士〈002、003、004、005、007〉の出身国。また、ギリシャはミュートスサイボーグのモチーフとなっている。後年にはピラミッドも登場した
  12. ^ 資料によっては1986年と記載している[24][3]
  13. ^ 藤子の『オバケのQ太郎』の主人公「大原正太」は石森の名前を元にしている。また「藤子不二雄」の共同ペンネームをやめて藤子不二雄Fとなった藤本弘に藤子・F・不二雄にするよう助言をしたのも石森である。
  14. ^ これらのラフスケッチで現存するものは、ジェネオンエンタテインメント『石森章太郎 変身ヒーロー画集 ―Before 1975―』および『石森章太郎 変身ヒーロー画集 (After1975)』に収録されている。
  15. ^ 宇宙からのメッセージ・銀河大戦』『仮面ライダー (スカイライダー)』などの造形を担当したコスモプロダクションに所属していた若狭新一は、出来上がりは同社任せになっていたので良し悪しを自分たちで判断するしかなく、必然的に石ノ森のデザインとは変わっていったと証言している[38]
  16. ^ エンディングではキャラクターデザインに雨宮慶太と野口竜の名前がクレジットされているが、主役のRXのラフ(頭部のみ)や、番組中期以降の多くの怪人のラフは石森によっておこなわれている。
  17. ^ 敵側のキャラクターのみ、キャラクターデザインを担当。
  18. ^ 八手三郎山川啓介小池一夫との共同作詞扱い。詞・曲は、スーパー戦隊以外の作品の主題歌(渡辺宙明作曲)からも引用されている。
  19. ^ このときに撮影されたスナップ写真は、石森の生家の玄関付近に飾られている。

出典

  1. ^ a b 日本文芸協会『文芸年鑑 1999』新潮社、1999年、375頁。
  2. ^ a b c d 変身ヒーロー大全集 1995, p. 152, 「原作者インタビュー 石ノ森章太郎」
  3. ^ a b c d e f g h i j k 仮面ライダー怪人大画報 2016, p. 178, 「仮面ライダー スタッフ・キャスト人名録 2016年版」
  4. ^ マンガの王様 石ノ森氏生誕イベント - 石巻日日新聞
  5. ^ 中島健人、“漫画の王様”石ノ森章太郎さんになる「プレッシャー」 - サンケイスポーツ
  6. ^ 【銀座 蔦屋書店】「漫画の帝王」石ノ森章太郎 生誕80周年記念フェア開催! - 日刊工業新聞
  7. ^ 講談社編『キャラクター大全ノンフィクション 証言!仮面ライダー 昭和』講談社、2017年、p.28
  8. ^ 読売新聞×ダ・ヴィンチ ミステリーブックフェア2015 【鼎談】今野 敏×湊 かなえ×間室道子(代官山 蔦屋書店 文学担当)<後編> ダ・ヴィンチニュース 2015年3月8日
  9. ^ “荒俣宏の電子まんがナビゲーター 第11回 松本零士編”. ebookJapan (2011年10月7日). 2013年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月9日閲覧。
  10. ^ 山内ジョージ『トキワ荘最後の住人の記録』p.222(東京書籍、2011年)。
  11. ^ a b c d e 『石ノ森章太郎のマンガ家入門』秋田文庫、1998年、pp.22-27
  12. ^ a b c d e f g h i j 石ノ森章太郎 | 石森プロ公式ホームページ(2021年7月23日閲覧)
  13. ^ 石ノ森ヒーローファイル 2013, pp. 124–125, 石ノ森章太郎年表.
  14. ^ 昭和石ノ森ヒーロー列伝 2013, pp. 106–111, 石ノ森章太郎ヒストリー.
  15. ^ a b 『石ノ森章太郎のマンガ家入門』秋田文庫、1998年、p.30
  16. ^ 中川右介『手塚治虫とトキワ荘』〈集英社文庫〉、集英社、2021年5月25日、265-266頁。ISBN 978-4-08-744249-6
  17. ^ WEBアニメスタイル 白川大作インタビュー(2) 2012年10月29日閲覧。一方、月岡はその才能を評価されてそのまま東映動画に入社し、「天才アニメーター」と呼ばれた。
  18. ^ 旅行記『世界まんがる記』を参照。
  19. ^ a b 石森章太郎『トキワ荘の青春 - ぼくの漫画修業時代』講談社文庫、1986年、p.185
  20. ^ 石森章太郎『トキワ荘の青春 - ぼくの漫画修業時代』講談社文庫、1986年、p.190
  21. ^ 石森章太郎『トキワ荘の青春 - ぼくの漫画修業時代』講談社文庫、1986年、pp.186-208
  22. ^ 石森章太郎『トキワ荘の青春 - ぼくの漫画修業時代』講談社文庫、1986年、pp.184-213
  23. ^ a b c d すがやみつる「感涙の最終回は新『009』への序章」『この最終回がすごい!』(初版第1刷版)、メディアファクトリー、2003年2月11日、72–80頁。ISBN 4-8401-0703-3。
  24. ^ 石ノ森章太郎『石ノ森章太郎 変身ヒーロー画集 -Before 1975-』ジェネオン エンタテインメント、2004年3月24日、207頁。ISBN 4-89452-797-9
  25. ^ 追悼・石森章太郎先生 第二十三回:「病気」(2021年7月23日閲覧)
  26. ^ 萬画宣言 | 石森プロ公式ホームページ(2021年7月22日閲覧)
  27. ^ 石ノ森章太郎 ふるさと記念館20周年 | 石森プロ公式ホームページ(2021年7月22日閲覧)
  28. ^ 萬画館、来館350万人達成 困難乗り越え20周年に華 | 河北新報オンラインニュース / ONLINE NEWS(2021年2月14日)2021年7月22日閲覧
  29. ^ a b “仮面ライダー帰ってきた! 被災の石ノ森萬画館が復活”. 朝日新聞 (2012年11月18日). 2012年11月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年1月28日閲覧。
  30. ^ 永井豪、2010、『激マン!』デビルマン編第2話(単行本第1巻収録)、日本文芸社[要ページ番号]
  31. ^ 『石森章太郎のマンガ家入門』ISBN 4-253-17250-4 秋田書店〈秋田文庫〉272頁
  32. ^ お別れなのだ 赤塚不二夫さん死去
  33. ^ 藤子不二雄A『まんが道』に出てくる全映画 おおひなたごうブログ https://blog.goo.ne.jp/rock-a-billy/e/aa627b78cacea20bbed6d2b2d4dbf6c4
  34. ^ 赤塚不二夫、やまさき十三『下落合シネマ酔館』小学館、1996年12月、314頁。当然、赤塚の映画論がメインであるが映画にまつわるエピソードとして石ノ森らとのエピソードが出てくる
  35. ^ 町山智浩春日太一の日本映画講義 時代劇編 (河出新書)。河出書房新社 (2019/6/25)。ISBN 4309631096
  36. ^ 魂の仮面ライダー爆談!! COMPLETE+ 出版社  : 辰巳出版 (2011/4/22) ISBN 4777809056。
  37. ^ 「スーパー戦隊制作の裏舞台 白倉伸一郎」『スーパー戦隊 Official Mook 20世紀』〈講談社シリーズMOOK〉、1992 恐竜戦隊ジュウレンジャー講談社、2019年3月8日、32–33頁。ISBN 978-4-06-513708-6
  38. ^ a b c 「急之壱 『ゴジラVSメカゴジラ』」『平成ゴジラ大全 1984-1995』編著 白石雅彦、スーパーバイザー 富山省吾双葉社〈双葉社の大全シリーズ〉、2003年1月20日、221頁。ISBN 4-575-29505-1。 
  39. ^ マンガ中国大人物伝第2巻項羽224頁~225頁
  40. ^ 藤子不二雄Ⓐまんが道 愛…しりそめし頃に…』第3巻 p17参照
  41. ^ “仮面ライダーの故石ノ森さん、最多コミックでギネスに”. 朝日新聞. 2008年1月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年10月29日閲覧。
  42. ^ http://www.ebookjapan.jp/ebj/special/st/ishinomori_digital.asp
  43. ^ “大恐竜時代”. メディア芸術データベース. 2016年10月30日閲覧。
  44. ^ a b 手塚治虫「ぼくはマンガ家」p.143。
  45. ^ 岩上安身「現代の肖像24 石森章太郎」『AERA』、朝日新聞社、1990年。web掲載 2012年10月29日閲覧。
  46. ^ 森章太郎『ことばの記憶』2008年 P.132。
  47. ^ 「石森章太郎を継ぐ者 仮面ライダーマンガ家列伝 第1回 すがやみつる」『KODANSHA Official File Magazine 仮面ライダー』Vol.1 仮面ライダー1号、講談社、2004年7月9日、30頁。ISBN 4-06-367086-4
  48. ^ “プロフィール”. 2012年10月29日閲覧。
  49. ^ 「「スーパーヒーロー戦記」鈴木福は石ノ森章太郎の墓参りして撮影、新ライダー情報も」『映画ナタリー』ナターシャ、2021年7月22日。2021年7月22日閲覧
  50. ^ 森ヒーローファイル 2013, pp. 117–119.
  51. ^ 昭和石ノ森ヒーロー列伝 2013, pp. 104–105.

参考文献

  • テレビマガジン特別編集 変身ヒーロー大全集』講談社、1995年11月30日。ISBN 4-06-178419-6
  • 『甦る!石ノ森ヒーローファイル』〈Gakken Mook〉、Gakken、2013年9月10日。ISBN 978-4-05-610166-9
  • 『昭和石ノ森ヒーロー列伝』〈HYPER MOOK〉、徳間書店、2013年10月15日。ISBN 978-4-19-730131-7
  • 「石ノ森章太郎」(シュガー佐藤(漫画)、石森プロ(監修))、ポプラ社、コミック版世界の伝記 24、ISBN 978-4591131725、(2012年12月8日)。※ 没後に漫画形式で書かれた子供向けの石森章太郎の伝記。
  • 『宇宙船別冊 仮面ライダー怪人大画報2016』〈ホビージャパンMOOK〉、ホビージャパン、2016年3月28日。ISBN 978-4-7986-1202-7
  • 山田夏樹:「石ノ森章太郎論」、青弓社、ISBN 978-4-7872-9239-1(2016年11月19日)。

関連項目

外部リンク

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  • 石ノ森章太郎 - NHK人物録
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