瓜州

曖昧さ回避 この項目では、中国にかつて存在した州について説明しています。甘粛省の現行行政区画については「瓜州県」をご覧ください。
中国地名の変遷
建置 北魏
使用状況 瓜州県
南北朝瓜州
瓜州
敦煌郡
瓜州
晋昌郡
瓜州
五代瓜州
北宋/瓜州
南宋/金瓜州
瓜州
瓜州
瓜州
安西衛
中華民国安西県
現代安西県
瓜州県

瓜州(かしゅう)は、中国にかつて存在した。現在の甘粛省瓜州県一帯に設置された。

魏晋南北朝時代

北魏孝明帝(在位:515年 - 528年)の時代に瓜州(現在の敦煌市)が設置された。

隋代

隋代が成立すると当初は3郡3県を管轄した。607年大業3年)、郡制施行に伴い敦煌郡と改称され、下部に3県を管轄した。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

隋代の行政区画変遷
区分 開皇元年 区分 大業3年
瓜州 敦煌郡
敦煌郡 常楽郡 永興郡 敦煌県
常楽県
玉門県
鳴沙県 涼興県 会稽県

唐代

瓜州都督府…隋代の敦煌郡の常楽県であり、武徳5年(622年)に瓜州を置き、総管府を立てて瓜州(現在の瓜州県)・西沙州(元瓜州)・粛州の3州を管轄する。武徳8年(625年)、都督府を廃止。貞観年間(627年 - 649年)、再び都督府となる。天宝元年(742年)、晋昌郡となる。乾元元年(758年)、再び瓜州となる。

旧領県2、戸数:1164、人口:4322。天宝時は戸数:477、人口:4987。京師(長安)の西3310里にあり、東都(洛陽)までは4306里ある。

  • 晋昌県…漢代の冥安県で、敦煌郡に属した。冥とは、川の名である。晋昌郡及び冥安県を置き、北周が晋昌郡を改めて永興郡とした。隋では瓜州と改名、冥安県を改めて常楽県とした。武徳7年(624年)、再び晋昌県となる。
  • 常楽県…漢代の広至県で、敦煌郡に属した。魏が広至県を分けて宜禾県を置く。西涼李暠はここに涼興郡を置く。隋代は廃止して常楽鎮を置く。武徳5年(622年)、鎮を改めて県とする。

瓜州晋昌郡…武徳5年(622年)、沙州の常楽県を分割して設置。土貢:野馬革,緊鞓,草鼓子,黄礬,絳礬,胡桐涙。

戸数:477、人口:4987。県数:2、府数:1。

  • 大黄府…西北千里には墨離軍あり。
  • 晋昌県…中下。もとの常楽県で、武徳4年(621年)に更名。東北には合河鎮あり、また120里には百帳守捉あり、また東150里には豹文山守捉あり、また7里には寧寇軍があり、甘州と路合。
  • 常楽県…中下。武徳5年(622年)に別置。抜河帝山あり。
唐代の行政区画変遷
区分 武徳3年 区分 天宝元年 区分 乾元元年
瓜州 晋昌郡 瓜州
晋昌県
常楽県
大黄府 晋昌県
常楽県
晋昌県
常楽県

宋代

1028年天聖6年)、李元昊が瓜州を陥落させた。

参考文献

隋朝の行政区分
 
606年大業2年)以前(州制)
雍州地区
梁州地区
豫州地区
兗州地区
冀州地区
青州地区
徐州地区
揚州地区
荊州地区
 
607年大業3年)以後(郡制)
雍州地区
梁州地区
豫州地区
兗州地区
冀州地区
青州地区
徐州地区
揚州地区
荊州地区
  • 表示
  • 編集