京都地震

京都地震
京都地震の位置(京都府内)
京都地震
本震
発生日 文政13年7月2日(1830年8月19日
震央 北緯35度06分 東経135度36分 / 北緯35.1度 東経135.6度 / 35.1; 135.6座標: 北緯35度06分 東経135度36分 / 北緯35.1度 東経135.6度 / 35.1; 135.6[1]
規模    M6.5[1]
地震の種類 直下型地震
被害
死傷者数 京都での死者280人[1]
被害地域 日本の旗 日本
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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京都地震(きょうとじしん)は、1830年8月19日文政13年7月2日)に発生した地震[2]京都大地震とも文政京都地震とも呼ばれる直下型地震で、京都市街を中心に大きな被害を出した。

概要

宇佐美は、震央京都府亀岡市付近と推定し、地震規模はM6.5±0.2とした[3]。また被害状況は、1662年寛文近江・若狭地震と似ているとしている[4]

起震断層は

  • 三木(1979) 亀岡断層あるいは神吉・越畑断層
  • 宇佐見ほか(1994) 亀岡盆地北東部
  • 松田(1990) 京都西山断層群、三峠断層群

など諸説ある[5]。大邑(2014)は亀岡盆地北東部や園部の被害は軽微であり亀岡断層、神吉・越畑断層で発生したとする説に疑問を呈し、愛宕山周辺であるとしている[5]。また、2000年代に行われた亀岡断層での周辺での地形学的調査や地質学的調査(P波による反射法地震探査やボーリング調査など)の結果からは、亀岡断層が起震断層であったとする結果は得られていないと報告されている[6]

被害

京都市街地を襲う内陸型の地震であった。二条城御所では石垣や塀が崩れ、町人街では土蔵に被害が集中した[7]。被害は京都市内だけでなく、伏見、宇治、淀でも生じた。西山(2010)は、天明大火以降急速に普及した倒壊しやすい桟瓦葺屋根(波形の瓦葺き屋根)が被害を拡大したと分析している[4]

甲子夜話』の記述では、市中の二階建ての建物はことごとく倒壊し、土蔵なども大きな被害を出したと伝えている[4]が、御所や公家町では壊滅的な被害ではなかった。

『文政雑記』の記述によると、町方の人的な被害は怪我人 1300人、即死280人であるが、御所内や武士の犠牲者数は不明である。

公家の柳原隆光の日記によれば、夕方の地震発生直後に藪の中に避難して難を逃れたが、大雷のような破壊転倒の音に恐怖し、この世が奈落の底に落ちたような衝撃を受けながら御所に駆けつけたと記している。仁孝天皇は御所内の御涼所に避難していたが、夜になっても揺れが収まらなかったために庭に筵道を敷いて剣璽と共に移り、光格上皇の意見もあり内侍所で御鈴を鳴らしながら沈静化を祈祷させた。筵上で臨時の朝議が開かれて、天皇と関白鷹司政通や左右両大臣らが協議した結果、七社七寺に対して地震祈祷を命じることになったという。当初は7日間の予定であったが、余震で祈祷が中断されるなど、沈静化の見込みが立たないために鷹司政通は光格上皇・仁孝天皇と相談の上で、更に7日間の祈祷の延長を命じることになったという。当時の公家日記を総合すると、京都では7月に28日間、8月に22日間地震が観測され、翌年になっても余震が収まらなかった(終見は翌年6月15日)[8]

著名な建築物や寺院も例外ではなく、二条城、興正寺北野天満宮など多数の建築物が被災している。

  • 扇状地内の旧池沼地に造営された二条城は地盤が軟弱で局所的に被害が集中し、石垣の崩壊、櫓・門・土塀の倒壊が記録されているが、遠待や二ノ丸御殿は部分的な損壊であったとされている。

出典

  1. ^ a b c “日本付近の主な被害地震年代表”. 日本地震学会. 2021年7月8日閲覧。
  2. ^ “19世紀後半、黒船、地震、台風、疫病などの災禍をくぐり抜け、明治維新に向かう(福和伸夫)”. Yahoo!ニュース. (2020年8月24日). https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/4d57ba83d5e41aac42e5017f84dc3147e53dc0ff 2020年12月2日閲覧。 
  3. ^ 宇佐美龍夫 『最新版 日本被害地震総覧』 東京大学出版会、2003年
  4. ^ a b c 西山昭仁「文政京都地震(1830年)における京都盆地での被害要因の検討 -桟瓦葺屋根の普及による被害の拡大-」『東京大學地震研究所彙報』第85巻第1号、東京大学、2010年12月24日、33-47頁、NAID 110007975773。 
  5. ^ a b 大邑潤三、文政京都地震(1830)による被害と起震断層の再検討 歴史地震研究会 歴史地震 (29), 51-60, 2014 (PDF)
  6. ^ 岡田篤正,植村善博,東郷正美 ほか、「亀岡断層帯の第四紀断層運動と地下構造」 活断層研究 2005年 2005巻 25号 p.93-108, doi:10.11462/afr1985.2005.25_93
  7. ^ 大邑潤三:文政京都地震(1830)における北野天満宮の被害記録と流言の検証 歴史都市防災論文集 8, 63-70, 2014-07-05, hdl:10367/5661, ISSN 1882-1766
  8. ^ 間瀬久美子「近世後期の朝廷と幕府の災害祈祷」(初出:『千葉経済論叢』61号、2019年/所収:間瀬『近世朝廷の権威と寺社・民衆』吉川弘文館、2022年)2022年、P294-295.

関連項目


1884年以前に日本で発生した主な地震歴史地震
 
- 1749年
古墳時代
飛鳥時代
奈良時代
平安時代
  • 弘仁(818年、M?)
  • 天長(830年、M7 - 7.5)
  • 伊豆(841年、M7)
  • 出羽(850年、M7.5?)
  • 播磨(868年、M7?)
  • 貞観(869年、M8.3<)
  • 元慶(878年、M7.5<)
  • 仁和(887年、M8<)
  • 山城・近江(976年、M?)
  • 万寿(1026年、M?)
  • 永長(1096年、M8<)
  • 康和(1099年、M?)
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江戸時代前期
 
1750年 - 1799年
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1790年 - 1799年
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  • 後志(1792年、M7.1)
  • 西津軽(1793年、M7.0)
  • 寛政(1793年、M8.2)
  • 金沢(1799年、M6.0)
 
1800年 - 1849年
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  • 文政近江(1819年、M7.3)
1820年 - 1829年
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1830年 - 1839年
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  • 美濃西部(1833年、M6.3)
  • 庄内沖(1833年、M7.5)
  • 石狩(1834年、M6.4)
  • 宮城県沖(1835年、M7.0)
  • 釧路・厚岸(1839年、M7.0)
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1850年 - 1884年
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1880年 - 1884年
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