ダテホーライ

ダテホーライ
現役期間 1967年 - 1970年
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1965年5月27日
死没 不明
ウイルデイール
ペルシアンレーゼンド
母の父 Persian Gulf
生国 日本の旗日本北海道有珠郡
生産者 伊達牧場
馬主 伊達牧場
調教師 星川泉士(栗東
競走成績
生涯成績 31戦10勝[1]
獲得賞金 80,178,100円[1]
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ダテホーライは、日本競走馬1969年に行われた第10回宝塚記念の勝ち馬である。タケシバオーアサカオーマーチスタニノハローモアキタノダイオーらとは同世代にあたる。

来歴

馬齢は旧表記(数え年)とする。

1967年

1967年7月23日、函館競馬場(以下、函館)の3歳新馬戦でデビューし3着。初勝利は2戦目となるオープン(函館)。 しかしその後は勝ち星から遠ざかった。

1968年

1968年1月27日の雪割草特別(中京競馬場、以下中京)で8戦ぶりの勝利となる2勝目を挙げ、2月18日のきさらぎ賞(中京)ではマーチスの5着。その後、3月3日の春駒賞(京都競馬場、以下京都)を勝った。

この年は東京競馬場(以下、東京)のスタンド改築工事の影響により、皐月賞が5月19日、東京優駿が7月7日に行われる変則日程となっており、クラシック戦線を睨むうえではローテーション的にはまだ余裕があった。しかし当馬は4月7日の4歳ステークス(阪神競馬場、以下阪神)で失格となり、約1か月の出走停止処分となったことが影響して、皐月賞を回避することになる。

5月5日、京都4歳特別(京都)に出走し3着。その後東京優駿を目指し、東上最終便ともいうべき6月2日の毎日盃(阪神)では単勝1番人気に応え、初の重賞勝ちを収めた。しかし、東上初戦となる6月23日のオープン(東京)では7着と敗退。さらに東京優駿(東京)では、左前釘傷のため競走除外となった。

秋は10月6日の朝日チャレンジカップ(阪神)から始動し、同レースでは3着。続く10月27日の京都盃(京都)でも3着に入る。11月17日の菊花賞(京都)では、勝ち馬のアサカオーから1馬身4分の1差の2着となった。続く12月7日のオープン(中京)では1分25秒4という、ダート1400メートルにおけるレコードをマークし勝利したが、12月29日の阪神大賞典(阪神)では1番人気に支持されながらも3着に終わった。

1969年以降

1969年1月19日の日本経済新春盃(京都)では、4歳時になかなか勝てなかったタニノハローモアを首差抑えて勝利。続く2月9日の中京記念(中京)ではハローモアの3着に敗れたが、2月23日の中京大賞典(中京)ではハローモアを4着に沈め勝った。4月6日のサンケイ大阪盃(阪神)では2着のアサカオーに2馬身の差をつけ、重賞連勝。4月29日の春の天皇賞(京都)では4着に終わったが、マーチス(5着)には1馬身半差先着した。

その後、6月1日の宝塚記念(京都)に出走。ファン投票で上位に選ばれたアサカオー、タケシバオーが出走せず[2]わずか4頭立てというメンバー構成となり、マーチスに次ぐ2番人気に推された[2][3]。レースは逃げるダイイチオーを残る3頭で追う形となり、脱落したメジロシンゲンをのぞく3頭の争いとなって直線勝負にもつれこんだが、最後は2着マーチスに1馬身の差をつけ、2分16秒1のレコードタイムで勝った[2][3]

その後6月29日の鳴尾記念(京都)に出走、不良馬場のなか61キログラム負担重量を背負うが4着と敗れる[4]。しかし秋初戦となる9月28日の朝日チャレンジカップ(阪神)では、61キログラムのトップハンデを背負いながらも2分1秒9のレコードをマークし勝利。これを契機に東上の予定だったが、骨折のため休養を余儀なくされる。

1970年4月12日、マイラーズカップ(阪神)で復帰。トウメイに半馬身差の2着に入り、4月29日の春の天皇賞(阪神)の有力候補となったが左肩跛行のため出走取消となり[5]、またこれが現役最後の記録となった。

引退後は種牡馬となり、コーナンルビー(帝王賞羽田盃、浦和桜花賞)などを送り出した。

血統表

ダテホーライ血統ダークロナルド系/Blenheim 4x5=9/38%、 Blandford 母内4x5=9.38%、 Friar Marcus 5x5=6.25%) (血統表の出典)

ウイルデイール
1956 黒鹿毛 日本
父の父
Wilwyn
1948 鹿毛 イギリス
Pink Flower Oleander
Plymstock
Saracen Donatello
Lovely Rosa
父の母
*メードンスグリーン
Maidens Green
1946 鹿毛 イギリス
Straight Deal Solario
Good Deal
Windsor Lady Beresford
Resplendent

*ペルシアンレーゼンド
Persian Legend
1958 黒鹿毛 イギリス
Persian Gulf
1940 鹿毛 イギリス
Bahram Blandford
Friar's Daughter
Double Life Bachelors Double
Saint Joan
母の母
Legende
1939 鹿毛 フランス
Pampeiro Blenheim
Pie Grieche
Chevalerie Abbot's Speed
Kassala F-No.9-f


弟に東京盃を勝ったオーナーズシユン(中央競馬ではインターマサアキの名で出走)がいる[1]

脚注

  1. ^ a b c 日本中央競馬会優駿』1975年9月号、pp.79-80
  2. ^ a b c 『優駿』1969年7月号、pp.68-69
  3. ^ a b “競走成績 第10回 宝塚記念”. 競走成績データ. 日本中央競馬会. 2011年7月19日閲覧。
  4. ^ 『優駿』1969年8月号、pp.76-77
  5. ^ 『優駿』1970年6月号、p.10

外部リンク

  • 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ
日本の旗 宝塚記念勝ち馬
   

国際競走指定前:
01回(1960年) ホマレーヒロ
02回(1961年) シーザー
03回(1962年) コダマ
04回(1963年) リユウフオーレル
05回(1964年) ヒカルポーラ
06回(1965年) シンザン
07回(1966年) エイトクラウン
08回(1967年) タイヨウ
09回(1968年) ヒカルタカイ
第10回(1969年) ダテホーライ
第11回(1970年) スピードシンボリ
第12回(1971年) メジロムサシ
第13回(1972年) ショウフウミドリ
第14回(1973年) ハマノパレード
第15回(1974年) ハイセイコー
第16回(1975年) ナオキ
第17回(1976年) フジノパーシア
第18回(1977年) トウショウボーイ
第19回(1978年) エリモジョージ
第20回(1979年) サクラショウリ
第21回(1980年) テルテンリュウ
第22回(1981年) カツアール
第23回(1982年) モンテプリンス

第24回(1983年) ハギノカムイオー
第25回(1984年) カツラギエース
第26回(1985年) スズカコバン
第27回(1986年) パーシャンボーイ
第28回(1987年) スズパレード
第29回(1988年) タマモクロス
第30回(1989年) イナリワン
第31回(1990年) オサイチジョージ
第32回(1991年) メジロライアン
第33回(1992年) メジロパーマー
第34回(1993年) メジロマックイーン
第35回(1994年) ビワハヤヒデ
第36回(1995年) ダンツシアトル
第37回(1996年) マヤノトップガン

国際競走指定後:
第38回(1997年) 日本の旗 マーベラスサンデー
第39回(1998年) 日本の旗 サイレンススズカ
第40回(1999年) 日本の旗 グラスワンダー
第41回(2000年) 日本の旗 テイエムオペラオー

国際G1昇格後:
第42回(2001年) 日本の旗 メイショウドトウ
第43回(2002年) 日本の旗 ダンツフレーム

第44回(2003年) 日本の旗 ヒシミラクル
第45回(2004年) 日本の旗 タップダンスシチー
第46回(2005年) 日本の旗 スイープトウショウ
第47回(2006年) 日本の旗 ディープインパクト
第48回(2007年) 日本の旗 アドマイヤムーン
第49回(2008年) 日本の旗 エイシンデピュティ
第50回(2009年) 日本の旗 ドリームジャーニー
第51回(2010年) 日本の旗 ナカヤマフェスタ
第52回(2011年) 日本の旗 アーネストリー
第53回(2012年) 日本の旗 オルフェーヴル
第54回(2013年) 日本の旗 ゴールドシップ
第55回(2014年) 日本の旗 ゴールドシップ
第56回(2015年) 日本の旗 ラブリーデイ
第57回(2016年) 日本の旗 マリアライト
第58回(2017年) 日本の旗 サトノクラウン
第59回(2018年) 日本の旗 ミッキーロケット
第60回(2019年) 日本の旗 リスグラシュー
第61回(2020年) 日本の旗 クロノジェネシス
第62回(2021年) 日本の旗 クロノジェネシス
第63回(2022年) 日本の旗 タイトルホルダー
第64回(2023年) 日本の旗 イクイノックス