ウーゲット・ウービナ

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はウービナ第二姓(母方の姓)はビジャレアルです。
ウーゲット・ウービナ
Ugueth Urbina
基本情報
国籍 ベネズエラの旗 ベネズエラ
出身地 首都地区ミランダ州カラカス
生年月日 (1974-02-15) 1974年2月15日(50歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
205 lb =約93 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1990年 ドラフト外
初出場 1995年5月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

ウーゲット・ウルタイン・ウービナ・ビジャレアルUgueth Urtaín Urbina Villarreal , 1974年2月15日 - )は、MLBモントリオール・エクスポズなどに所属した投手ベネズエラ・ボリバル共和国カラカス出身。右投右打ち。

経歴

1990年にドラフト外でモントリオール・エクスポズに入団したウービナは、マイナーリーグ時代は先発投手として投げていた。1995年にメジャーに初昇格し、この年はメジャーとAAAを行き来していたが、翌年は17試合に先発し、チーム3位となる10勝をあげた[1]。オフにメル・ロハスが移籍したため、1997年からはクローザーとなることになり、この年は防御率3.78とクローザーとしては不安定であったが、1998年は1.30と進歩し初のオールスターに選出される。1999年には41セーブでセーブ王となった。翌2000年は5月9日に故障者リスト(DL)入りし、早々とシーズンを終えた[2]

2001年7月31日に大家友和とマイナー一選手との交換でボストン・レッドソックスに移籍、前年に比べ安定感の無かったデレク・ロウに代わってシーズン終盤はクローザーをつとめた。チームはア・リーグ東地区2位でシーズンを終えたが、プレーオフ進出は逃した。2002年は2度目の40セーブをあげ、オールスターにも選出された。12月にはフリーエージェント(FA)となりテキサス・レンジャーズと契約した。

2003年7月11日にエイドリアン・ゴンザレスを含むマイナー三選手との交換で、フロリダ・マーリンズに移籍。レンジャーズ在籍時は安定感を欠いていたが、マーリンズ移籍後はクローザーのブレイデン・ルーパーへつなぐセットアッパーとして、チームのプレーオフ進出に貢献した。プレーオフではルーパーに代わりクローザーとして計10試合に登板、防御率3.46、1勝4セーブをあげ、チームはワールドシリーズを制覇した。

シーズン終了後FAとなっていたウービナは、2004年3月29日にデトロイト・タイガースと契約したが、母親の誘拐事件が起こったため、8月一杯で帰国した。翌2005年6月8日にはプラシド・ポランコ、ラモン・マルティネスとのトレードでフィラデルフィア・フィリーズに移籍、シーズン終了後にFAとなった。

度重なるトラブル

父親の死

1994年、ウービナの父ホアンは強盗に抵抗したために彼の間近で強盗達に殺された[3]

発砲事件

2003年1月、ウービナはカラカスの高級住宅街で銃を発砲し逮捕されたが、判事は強盗から身を守るためだったことを認め、彼を罰金刑に処した[4]

母親誘拐事件

2004年9月1日、武装した男達がウービナの母親を誘拐した[4]。彼は即座に帰国し対処に追われたが、警察の誘拐対策班はこの誘拐が成功してしまうと、他の選手やその家族にも危険がおよぶ可能性があるため、600万ドルとも言われた身代金の支払いをしないように彼を説得した[3][5]。翌2005年2月18日に救出部隊が山岳地帯の犯人の隠れ家に突入、犯人を射殺しウービナの母親を救出した[5]

殺人未遂事件

2005年11月8日、ウービナは10月16日に彼の農場で働く5人の労働者をなたで襲い、ガソリンをかけ火をつけて怪我をさせたとして殺人未遂罪で逮捕、起訴された。彼は金銭目当てのでっちあげだと否定し「真実は明らかになる」と語っていたが、保釈も認められなかった[6]。彼に面会した同郷の親友でもあるオジー・ギーエンは貧困をはじめとする国情が背景にあるとし「綺麗好きな彼には監獄は酷すぎるし、アメリカでの裁判と違ってベネズエラでのそれはとても大変だ」と語った[7]。「勝手にプールに入っていたので厳しく叱ったが、事件の起きた時間帯には家に帰って寝ていた」というウービナの主張は裁判では認められず、2007年3月28日に懲役14年に処された[8]が、2012年12月に釈放され[9]12月28日には現役続行の意思を示した[10]

選手としての特徴

91~95マイル(約146~153km)の直球とスライダーに加え、沈むチェンジアップを効果的に使う。[2]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1995 MON 7 4 0 0 0 2 2 0 -- .500 109 23.1 26 6 14 1 0 15 2 0 17 16 6.17 1.71
1996 33 17 0 0 0 10 5 0 -- .667 484 114.0 102 18 44 4 1 108 3 1 54 47 3.71 1.28
1997 63 0 0 0 0 5 8 27 -- .385 276 64.1 52 9 29 2 1 84 2 0 29 27 3.78 1.26
1998 64 0 0 0 0 6 3 34 -- .667 272 69.1 37 2 33 2 0 94 3 2 11 10 1.30 1.01
1999 71 0 0 0 0 6 6 41 0 .500 323 75.2 59 6 36 6 0 100 6 0 35 31 3.69 1.26
2000 13 0 0 0 0 0 1 8 0 .000 54 13.1 11 1 5 0 0 22 1 0 6 6 4.05 1.20
2001 45 0 0 0 0 2 1 15 1 .667 201 46.2 42 8 21 1 0 57 2 1 24 22 4.24 1.35
BOS 19 0 0 0 0 0 1 9 2 .000 77 20.0 16 1 3 0 0 32 0 0 5 5 2.25 0.95
'01計 64 0 0 0 0 2 2 24 3 .500 278 66.2 58 9 24 1 0 89 2 1 29 27 3.65 1.23
2002 61 0 0 0 0 1 6 40 0 .143 242 60.0 44 8 20 5 0 71 3 1 21 20 3.00 1.07
2003 TEX 39 0 0 0 0 0 4 26 0 .000 167 38.2 33 6 18 2 0 41 2 1 19 18 4.19 1.32
FLA 33 0 0 0 0 3 0 6 11 1.000 149 38.1 23 2 13 0 0 37 2 0 6 6 1.41 0.94
'03計 72 0 0 0 0 3 4 32 11 .429 316 77.0 56 8 31 2 0 78 4 1 25 24 2.81 1.13
2004 DET 54 0 0 0 0 4 6 21 0 .400 234 54.0 38 7 32 3 3 56 2 0 28 27 4.50 1.30
2005 25 0 0 0 0 1 3 9 3 .250 116 27.1 21 4 14 2 1 31 1 0 9 8 2.63 1.28
PHI 56 0 0 0 0 4 3 1 18 .571 214 52.1 35 8 25 2 0 66 0 0 25 24 4.13 1.15
'05計 81 0 0 0 0 5 6 10 21 .455 330 79.2 56 12 39 4 1 97 1 0 34 32 3.62 1.19
通算:11年 583 21 0 0 0 44 49 237 35 .473 2918 697.1 539 86 307 30 6 814 29 6 289 267 3.45 1.21
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



投手(P)












1995 MON 7 5 4 0 0 1.000
1996 33 6 10 1 2 .941
1997 63 3 8 1 0 .917
1998 64 2 3 0 0 1.000
1999 71 5 2 0 0 1.000
2000 13 1 0 0 0 1.000
2001 45 0 5 0 0 1.000
BOS 19 1 2 0 0 1.000
'01計 64 1 7 0 0 1.000
2002 61 7 1 0 1 1.000
2003 TEX 39 3 2 0 0 1.000
FLA 33 0 3 0 0 1.000
'03計 72 3 5 0 0 1.000
2004 DET 54 2 2 0 0 1.000
2005 25 2 1 0 0 1.000
PHI 56 0 3 0 0 1.000
'04計 81 2 4 0 0 1.000
MLB 583 37 46 2 3 .976

タイトル 

  • 最多セーブ投手:1回(1999年)

表彰 

  • オールスター選出:2回(1998年、2002年)
  • ワールドシリーズ制覇:1回 (2003年)

参考資料

[脚注の使い方]
  1. ^ “1996 Montreal Expos Statistics and Roster” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年3月19日閲覧。
  2. ^ a b Gatto, Tom; Reid, Shawn and Shaw, Jeff (英語). The Baseball Register & Fantasy Handbook 2006. Sporting News. pp. 612. ISBN 0-89204-801-8 
  3. ^ a b “A matter of trust” (英語). ESPN.com. 2008年3月19日閲覧。
  4. ^ a b “Urbina's Mother Kidnapped” (英語). New York Times. 2008年3月19日閲覧。
  5. ^ a b “At least one abductor killed in rescue mission” (英語). ESPN.com. 2008年3月19日閲覧。
  6. ^ “Urbina arrested on attempted murder charges” (英語). ESPN.com. 2008年3月19日閲覧。
  7. ^ “Ozzie Guillen interview transcript” (英語). USA Today. 2008年3月19日閲覧。
  8. ^ “Urbina sentenced to prison for attempted murder” (英語). USA Today. 2008年3月19日閲覧。
  9. ^ https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20121227-1064714.html
  10. ^ https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20121230-1066012.html

外部リンク

  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
  • 表示
  • 編集
ナショナルリーグ最多セーブ
1950年代
  • 50 ジム・コンスタンティー
  • 51 テッド・ウィルクス(英語版)
  • 52 アル・ブレイズル(英語版)
  • 53 アル・ブレイズル(英語版)
  • 54 ジム・ヒューズ(英語版)
  • 55 ジャック・マイヤー(英語版)
  • 56 クレム・ラビーン(英語版)
  • 57 クレム・ラビーン(英語版)
  • 58 ロイ・フェイス
  • 59 リンディ・マクダニエル(英語版)ドン・マクマホン(英語版)
1960年代
1970年代
  • 70 ウェイン・グレンジャー(英語版)
  • 71 デーブ・ジュスティ(英語版)
  • 72 クレイ・キャロル(英語版)
  • 73 マイク・マーシャル
  • 74 マイク・マーシャル
  • 75 ロウリー・イーストウィック(英語版)アル・ラボスキー(英語版)
  • 76 ロウリー・イーストウィック(英語版)
  • 77 ローリー・フィンガーズ
  • 78 ローリー・フィンガーズ
  • 79 ブルース・スーター
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
フロリダ・マーリンズ 2003年のワールドシリーズ ロースター
   

監督
15 ジャック・マキーオン

コーチ
13 オジー・ギーエン(三塁)
16 ペリー・ヒル(一塁)
23 ダグ・デービス(ベンチ)
26 ウェイン・ローゼンタール(投手)
28 ビル・ロビンソン(打撃)
47 ジェフ・コックス(ブルペン)
67 ピエール・アーセノールト(ブルペン)