アロウズ・A18

アロウズ・A18
デイモン・ヒルがハンガリーGPでドライブするA18
デイモン・ヒルハンガリーGPでドライブするA18
カテゴリー F1
コンストラクター アロウズ
デザイナー フランク・ダーニー
(Technical Director)
ポール・ボーエン
(Chief Designer)
サイモン・ジェニングス
(Head of Aerodynamics)
先代 フットワーク・FA17
後継 アロウズ・A19
主要諸元
シャシー カーボンファイバー ハニカム コンポジット
サスペンション(前) ダブルウィッシュボーン, プッシュロッド
サスペンション(後) ダブルウィッシュボーン, プッシュロッド
エンジン ヤマハ 0X11A/C, OX11A/D 72度 V10
トランスミッション アロウズ/Xtrac製 6速 縦置き セミAT
燃料 ペトロサイエンス
タイヤ ブリヂストン
主要成績
チーム ダンカ・アロウズ・ヤマハ
ドライバー 1. デイモン・ヒル
2. ペドロ・ディニス
コンストラクターズタイトル 0
ドライバーズタイトル 0
初戦 1997年オーストラリアグランプリ
出走優勝ポールFラップ
17000
テンプレートを表示

アロウズ・A18 (Arrows A18) は、アロウズ1997年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カーで、フランク・ダーニーが設計し、ジョン・バーナードが改良した。1997年の開幕戦から最終戦まで実戦投入された。

A18

ヒルがイギリスGPでドライブするA18

トム・ウォーキンショーの買収により、コンストラクター名をフットワークから再びアロウズに変更。型式名も1991年(FA11C)以来続いていたFAからAに戻った。FA17からはタイヤ(グッドイヤーブリヂストン)とエンジン(ハート→ヤマハ)が変更された。

1996年にリジェから加入したダーニーが設計。しかし信頼性が致命的なレベルで欠如しており、ウォーキンショーとの意見の食い違いからダーニーは序盤でチームを離脱。第5戦モナコGPフェラーリからバーナードが加入するまででは完走は1回ずつの計2回しかなかった。バーナードが最初に行った事は、パーツの強度上げによる信頼性の向上だった。

信頼性向上策とともに様々な改良が施された。ブラジルGPからエアボックスをウィリアムズFW18の様に若干前方に突き出した形状に改修した。ドイツGPにはレスダウンフォースに対応した新型のフロントウイングを投入、フラップがフルサイズから左右分離型になった。ハンガリーGPではハイダウンフォースに対応した、リヤウイングの前方にウイングが追加された。

エンジンは、開幕戦にはCスペックが投入されたが、第4戦サンマリノGP以降は各部を見直したDスペックエンジンが搭載された。

ヒルは「A18は、基本的なバランスは優れていて、ヤマハエンジンも超軽量、ブリヂストンタイヤを履かせたら文句なしのセットアップが決まる可能性があり、(エンジンパワーがさほど重要ではない)ハンガロリンクでピッタリまとまった」と、ハンガリーでの快走の要因を分析している[1]

1997年シーズン

1996年F1ワールドチャンピオンデイモン・ヒルを迎え、チームとしては未だ優勝経験がないながらカーナンバー1を初めてつけたアロウズ陣営。しかし、ダーニーが設計したA18とヤマハV10エンジンは信頼性が低く、ヒルは開幕戦のオーストラリアGPではあわや予選落ちの危機に立たされ、決勝ではフォーメーションラップ中のマシントラブルでリタイアとなった。ペドロ・ディニスは開幕戦は完走するも、その後5戦連続リタイヤを喫してしまう。

第6戦モナコGP中の5月10日付けでフェラーリから移籍したジョン・バーナードがテクニカル・ディレクターに就任し、テストの方向性を決めてから、A18の信頼性もあがっていった。ヒルも第7戦カナダGPでチームメイトのディニスと共に完走してから、第9戦イギリスGPで6位入賞と初ポイントを獲得した。しかしディニスは4戦連続リタイヤとなるなど信頼性に関しては不安を抱いたままとなった。

第11戦ハンガリーGPではヒルが予選3位を獲得。決勝ではブリヂストンタイヤの性能を生かし、序盤でブリスターが発生したグッドイヤータイヤに苦しむミハエル・シューマッハをパスし、そのままトップを快走。あわよくば優勝という所まで行ったが、レース終盤にギヤボックストラブルで失速し、ファイナルラップでジャック・ヴィルヌーヴに抜かれ、惜しくも優勝は逃した。このレースで記録した2位がシーズン最高位となった。2位入賞はアロウズとしては1985年サンマリノGPでのティエリー・ブーツェン以来12年ぶりで、結果的にこれが最後の表彰台にもなった。

第15戦ルクセンブルクGPでついにディニスが1997年の初めてにして最後の入賞を獲得。

最終戦ヨーロッパGPでは、ヒルがトップと0.058秒差の予選4位に入った。ヒルは「前を走っていた片山右京がスピンをしなければポールポジションを取れた」と語っていた。しかし、決勝ではスタートで順位を落としてしまい、最終的に途中リタイヤとなってしまった。

スペック

シャーシ

エンジン

ヤマハ OX11A

記録

No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 ポイント ランキング
AUS
オーストラリアの旗
BRA
ブラジルの旗
ARG
アルゼンチンの旗
SMR
サンマリノの旗
MON
モナコの旗
ESP
スペインの旗
CAN
カナダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
AUT
オーストリアの旗
LUX
ルクセンブルクの旗
JPN
日本の旗
EUR
欧州連合の旗
1997 1 イギリスの旗 ヒル Ret 17 Ret Ret Ret Ret 9 12 6 8 2 13 Ret 7 8 11 Ret 9 8位
2 ブラジルの旗 ディニス 10 Ret Ret Ret Ret Ret 8 Ret Ret Ret Ret 7 Ret 13 5 12 Ret

脚注

  1. ^ GP CAR Story Vol.23 アロウズ・A18 ”理想的な贈り物”の代償。 三栄書房 P47。 2018年6月27日閲覧。


イギリスの旗 アロウズ / フットワーク
TWRアロウズ
1997年 - 2002年
主なチーム関係者
主なドライバー
車両
主なスポンサー
タイトルスポンサー:
  • ダンカ
  • ツェプター(英語版)
  • Orange
スポンサー/サプライヤー:
関連組織
フットワーク
1990年 - 1996年
主なチーム関係者
主なドライバー
車両
主なスポンサー
関連組織
アロウズ
1978年 - 1989年
創設者
主なチーム関係者
主なドライバー
車両
主なスポンサー
タイトルスポンサー:
  • ヴァルシュタイナー(英語版)
  • ラグノ(イタリア語版)
  • ベータ(イタリア語版)
  • ブラウン&ウィリアムソンバークレイ(英語版)
  • ノルディカ(英語版)
  • USF&G(英語版)
スポンサー/サプライヤー:
イギリスの旗 トム・ウォーキンショー・レーシング (TWR)
主な関係者
BTCC
イギリスの旗 TWR (ホールデン)
(1988年)
イギリスの旗 TWR (ローバー)
(1982年 - 1987年)
日本の旗 マツダ・モータースポーツ/TWR
(1980年 - 1981年)
ETCC
イギリスの旗 TWR (ホールデン)
(1988年)
イギリスの旗 TWR (ローバー)
(1985年 - 1986年)
イギリスの旗 TWRジャガー
(1982年 - 1984年)
日本の旗 マツダ・モータースポーツ/TWR
(1980年 - 1981年)
ATCC/AEC
オーストラリアの旗 ホールデン・レーシング・チーム
(1990年 - 1991年)
ダカール・ラリー
イギリスの旗 トム・ウォーキンショー・レーシング
(1982年)
WSPC (とル・マン)
日本の旗 日産・モータースポーツ
(1997年 - 1998年)
ドイツの旗 ヨースト・レーシング
(1996年 - 1997年)
イギリスの旗 TWRジャガー・レーシング
(1993年)
日本の旗 マツダスピード
(1992年)
イギリスの旗 シルクカット・ジャガー
(1985年 - 1991年)
IMSA GT
アメリカ合衆国の旗 バド・ライト・ジャガー (TWR USA)
(1989年 - 1993年)
JSPC
イギリスの旗 サンテック・ジャガー
(1991年)
F1チーム
イギリスの旗 TWRアロウズ
(1997年 - 2002年)
JIC (ワンメイク)
ロードカー