水島哲
水島 哲 | |
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出生名 | 安倍 亮一 |
生誕 | (1929-02-03) 1929年2月3日 宮城県仙台市 |
出身地 | 日本 |
死没 | (2015-06-27) 2015年6月27日(86歳没) 東京都 |
学歴 | 早稲田大学理工学部 |
活動期間 | 1956年 - 2015年 |
水島 哲(みずしま てつ、1929年2月3日 - 2015年6月27日)は、日本の作詞家。
人物
1929年2月3日、宮城県仙台市出身[1]。本名は安倍亮一。
早稲田大学理工学部在学中より音楽業界に入り、1958年に平尾昌章が歌った『星は何でも知っている』で作詞家としてデビュー[2]。
その後、読売新聞社に記者として入社。東京本社文化部記者として音楽関係の記事や評論を書きながら、一方では作詞家として数々の作品を世に送り出す。
1989年頃まで読売新聞に在職しており、その後フリーの音楽評論家となった。
2015年6月27日、大腸癌のため死去[1][3]。86歳没。
作風
水島は洋楽曲の訳詞、和製ポップス、演歌、グループ・サウンズまでジャンルを問わない創作活動を行っていた。本人は「本業の記者として論理的な記事を書いていた一方で、非論理的な、感情を盛り込む仕事として作詞を行っていた」旨のコメントを残している[4]。
主な作品
- 平尾昌章
- 「星は何でも知っている」(作曲:津々美洋)
- 「哀愁のバイパス道路」(作曲:吉田正)
- 「おもいで」(作曲:平尾昌晃)
- 三田明
- 「恋人の泉」(作曲:吉田正)
- 「薔薇の涙」(作曲:吉田正)
- 和田浩治
- 「純情愚連隊」(作曲:不明)
- 柴山モモ子
- 「東京っ子」(作曲:北原じゅん)