枇杷島町

びわじまちょう
枇杷島町
廃止日 1921年8月22日
廃止理由 編入
愛知郡愛知町・千種町・呼続町荒子村小碓村笠寺村御器所村・常磐村・中村・東山村・八幡村・西春日井郡清水町・枇杷島町金城村・杉村・六郷村 → 名古屋市
現在の自治体 名古屋市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
西春日井郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,734
(1920年10月1日)
枇杷島町役場
所在地 愛知県西春日井郡枇杷島町
座標 北緯35度11分41秒 東経136度52分38秒 / 北緯35.19486度 東経136.87731度 / 35.19486; 136.87731座標: 北緯35度11分41秒 東経136度52分38秒 / 北緯35.19486度 東経136.87731度 / 35.19486; 136.87731
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枇杷島町(びわじまちょう)は、かつて愛知県西春日井郡にあったである。

現在の名古屋市西区の北部であり、庄内川南岸である。庄内川対岸に位置する西春日井郡西枇杷島町(現・清須市)と区別するため、「東枇杷島」と呼称していたという(現在も名鉄名古屋本線東枇杷島駅として名を残す)。

美濃路(美濃街道)が通り、古くから交通の要所であった。

地名の由来は諸説あり、有力とされるのは藤原師長が井戸田において関係をもった女性に対して帰京の際に渡した白菊の琵琶の故事に由来する説であるが、庄内川の中洲であった「中島」[注 1]の形状が枇杷に似ていることからともいう[1]。また、『尾張名所図会』は当地に枇杷が多かったことによるという説を採っている[1]

沿革

字一覧

枇杷島村[3]

  • 長鞘(なかさや)
  • 東出(ひがしで)
  • 石杉(いしすぎ)
  • 町田(ちやうた)
  • 障泥掛(あをりかけ)
  • 江ノ間(えのあい)
  • 江跨(えまたき)
  • 柳坪(やなぎつぼ)
  • 上ノ町(かみのちよう)
  • 下ノ町(しものちよう)
  • 南堰(みなみせき)

  • 北堰(きたせき)
  • 道下(みちしも)
  • 四ツ辻(よつじ)
  • 氏苗(うしなえ)
  • 北出(きたて)
  • 桺場(やなぎば)
  • 亥新田(いしんでん)
  • 荒井(あらい)
  • 西定布(にしじやうふ)
  • 東定布(ひがしじやうふ)
  • 茶島(ちやしま)

  • 西脇(にしわき)
  • 松中(まつなか)
  • 中井(なかい)
  • 寅新田(とらしんでん)
  • 子新田(ねしんでん)
  • 宮野(みやの)
  • 池洲(いけす)
  • 井戸田(いどた)
  • 一本橋(いつほんばし)
  • 道上(みちかみ)

枇杷島町[4]

  • 一町目(いちちようめ)
  • 二町目(にちようめ)
  • 三町目(さんちようめ)
  • 四町目(しちようめ)
  • 五町目(ごちようめ)
  • 六町目(ろくちようめ)

  • 橋詰(はしつめ)
  • 井桁(いけた)
  • 下裏(しもうら)
  • 北裏(きたうら)
  • 八幡ノ切(はちまんのきり)
  • 南裏(みなみうら)

学校

交通機関

脚注

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注釈

  1. ^ かつて、西春日井郡の郡役所が設置されていた島。住民も多く住んでいたが、昭和初期の河川改修で撤去される。
  2. ^ 1921年当時の一宮線は、押切町 - 枇杷島橋 - 岩倉駅 - 東一宮
  3. ^ 現在地への移転は1941年。1921年当時は現在地の東南東約600m付近という。

出典

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  1. ^ a b 西春日井郡 1923, p. 11.
  2. ^ a b c d 名古屋市計画局 1992, p. 763.
  3. ^ 『地名学選書 愛知県地名集覧(原題)明治十五年愛知県郡町村字名調』273頁
  4. ^ 『地名学選書 愛知県地名集覧(原題)明治十五年愛知県郡町村字名調』277頁

参考文献

  • 西春日井郡 編『西春日井郡誌』西春日井郡、1923年3月。全国書誌番号:43043020。 
  • 『地名学選書 愛知県地名集覧(原題)明治十五年愛知県郡町村字名調』1932年愛知県教育会刊、日本地名学研究所(1969年5月30日)復刻
  • 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。全国書誌番号:93012879。 

関連項目

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