日本統治時代

日本統治時代(にっぽんとうちじだい)は、明治時代以降1945年(昭和20年)まで大日本帝国を構成し、日本列島を除く、戦争外交によって獲得した領域を統治していた時代である。

定義

明治維新によって近代化を成し遂げた大日本帝国[1]の中に、北海道・本州四国九州を構成する47都道府県の「内地」に対して、それ以外の「外地」と呼ばれた諸領域のこと。

その後の足掛け15年にも及び、満州事変支那事変日中戦争)・太平洋戦争大東亜戦争)といった諸戦争・戦闘で、アジア太平洋地域(厳密には、一部オセアニアも含む)において日本軍が進出・占領した領域が、1945年(昭和20年)の連合国によるポツダム宣言を日本政府が受諾したことに伴った第二次世界大戦終結における日本軍無条件降伏日本の敗戦に至るまで、日本によって統治されていた時代のことである。

幕末から明治初頭にかけての不平等条約で段階的に主権を喪失した樺太についてもここにしるす。

また、ここでは植民地とは違うものとして扱う。

内地

外地

  • 日本の租界 上海 漢口 天津 厦門

日中戦争(支那事変)による占領地

詳細は「日中戦争」および「支那事変」を参照

第二次世界大戦・太平洋戦争(大東亜戦争)による占領地

脚注

  1. ^ 明治憲法下では、「大日本帝国」(英: Empire of Japan)という国号も使用された。
大東亜共栄圏を構成する国・地域
ウィキポータル:Portal:大東亜共栄圏
日本の旗 日本
共通法における領土区分
統治権を一時保有する地
中国方面
東北三省満洲2
中国本土
内蒙古3
南方北方方面
既存の国家
新設のまたは政府
 日本のその他占領地
関連する出来事
  • 1:共通法第1条の規定により、樺太は内地に包含された。
  • 2日本政府の立場では、満洲の独立は地元住民の自発的な意志に依るものであり、中国の行政・領土的保全を約する九カ国条約の遵守と満洲国の承認は矛盾するもので無かった。
  • 3:日本は内蒙古を中国本土とは異なる地域として扱かっていたが、現地の政治権力上は中国内の自治行政区画に留められた。
  • 地方自治の為に設置された組織。現地の意向に関係なく、日本には中央政府へ発展させる意図がなかった。
  • :大東亜会議開催(1943年)以前に消滅した組織。
  • :日本政府から政府承認を受ける前に消滅した組織。
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