島津守久
凡例 島津守久 | |
---|---|
時代 | 室町時代前期 |
生誕 | 不明 |
死没 | 1430年? |
幕府 | 室町幕府 |
主君 | 足利義持 |
氏族 | 島津総州家 |
父母 | 父:島津伊久 |
兄弟 | 守久、忠朝、久照[1] |
子 | 久世 |
テンプレートを表示 |
島津 守久(しまづ もりひさ)は、室町時代前期の武将。島津氏の分家・総州家3代当主。
川内碇山城を居城としていたが、父・島津伊久と対立しており、明徳4年(1393年)、父の居城川辺城を包囲する。しかし大隅国守護職で奥州家2代当主・島津元久の説得により川内へ退却する。この事件により伊久と守久は居城を交代し、伊久は薩摩守護職と伝家の家宝を元久に譲り渡す。薩摩守護職を継げなかった守久はその後出水城に居を構えたが、子の久世は伊集院頼久の乱において奥州家の久豊により殺害される。守久自身も応永29年(1422年)に久豊の子の忠国によって攻められ、孫の久林と共に海路肥前国に逃れた。
永享2年(1430年)、守久の孫・久林が忠国の急襲を受けて自害し、総州家は断絶した。
脚注
島津総州家第8代当主 | |
---|---|
宗家 | |
総州家 | |
奥州家 | 氏久1363-1387 | 元久1387-1411 | 久豊1411-1425 | 忠国1425-1470 | 立久1470-1474 | 忠昌1474-1508 | 忠治1508-1515 | 忠隆1515-1519 | 勝久1519-1526 | 貴久1526-1566 | 義久1566-1587 | 義弘1587-1602 | 家久1602-1638 | 光久1638-1687 | 綱貴1687-1704 | 吉貴1704-1721 | 継豊1721-1746 | 宗信1746-1749 | 重年1749-1755 | 重豪1755-1787 | 斉宣1787-1809 | 斉興1809-1851 | 斉彬1851-1858 | 忠義1858-1897 | 忠重1897-1968 | 忠秀1968-1996 | 修久1996-現在 |
分家・支流 | |
越前家 | |
播磨家 | |
伊作家 | |
薩州家 | |
相州家→ 垂水家 | |
豊州家 | |
玉里家 | |
加治木家 | |
佐土原家 | |
重富家 | |
和泉家→ 今和泉家 | |
宮之城家 | |
永吉家 | |
日置家 | |
北郷氏→ 都城家 | |
佐多氏→ 知覧家 |