山崎徳次郎

やまざき とくじろう
山崎 徳次郎
生年月日 (1922-12-23) 1922年12月23日
没年月日 (2000-12-23) 2000年12月23日(78歳没)
出身地 日本の旗 日本福岡県
職業 映画監督
主な作品
『霧笛が俺を呼んでいる』
海から来た流れ者
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山崎 徳次郎 (やまざき とくじろう、1922年12月23日 - 2000年9月28日)は福岡県出身の[1]日本映画監督映画プロデューサー脚本家である[2]

人物

日本大学芸術科映画科を卒業後[3]大映に入社[3]、その後は日活に移籍、『霧笛が俺を呼んでいる』[2]小林旭主演の流れ者シリーズなど[4]、計31作品の監督を務めた。日活退社後は自らの映画会社真珠社を創設[2]、1969年には自ら企画監督を務め更に脚本にも携わり、長年に渡り構想を練っていた『荒い海』を製作した[5]。以降は記録映画の製作や専門学校の講師も務めていた[2]。劇場公開用の新作映画を構想していたが[2]、実現しなかった。

製作

監督

  • 雁 (1953年) ... 助監督
  • 或る女 (1954年)  ... 助監督
  • 青春怪談 (1955年)  日活  ... 助監督
  • 太陽の季節 (1956年) 日活  ... 助監督
  • 逆光線 (1956年) 日活  ... 助監督
  • 沖縄の民 (1956年) 日活  ... 助監督
  • 反逆者 (映画) (1957年) 日活  ... 助監督
  • 陽のあたる坂道 (1958年)  日活  ... 助監督
  • 若い川の流れ (1959年) 日活  ... 助監督
  • JA750号機行方不明 (1959年)  日活
  • 拳銃0号 (1959年)  日活
  • 事件記者 (1959年) 日活
  • 事件記者 真昼の恐怖 (1959年)  日活
  • 事件記者 仮面の脅迫 (1959年)  日活
  • 事件記者 姿なき狙撃者 (1959年)  日活
  • 事件記者 影なき男 (1959年)  日活
  • 事件記者 深夜の目撃者 (1959年)  日活
  • 事件記者 時限爆弾 (1960年)  日活
  • 事件記者 狙われた十代 (1960年)  日活
  • 海から来た流れ者 (1960年)  日活
  • 海を渡る波止場の風 (1960年)  日活
  • 霧笛が俺を呼んでいる (1960年)  日活
  • 南海の狼火 (1960年) 日活
  • 大暴れ風来坊 (1960年) 日活
  • 俺の血が騒ぐ (1961年) 日活
  • 大暴れマドロス野郎 (1961年)  日活
  • 風に逆らう流れ者 (1961年)  日活
  • 拳銃横丁 (1961年)  日活
  • 波止場気質 (1961年)  日活
  • 兄貴 (1962年) 日活
  • 事件記者 拳銃貸します (1962年) 日活
  • 事件記者 影なき侵入者 (1962年) 日活
  • 抜き射ち三四郎 (1962年) 日活
  • 拳銃は淋しい男の歌さ (1962年) 日活
  • 波止場の賭博師 (1963年) 日活
  • 午前零時の出獄 (1963年) 日活
  • 学園広場 (1963年) 日活
  • 殺られてたまるか (1964年) 日活
  • ギター抱えたひとり旅 (1964年)  日活
  • 荒い海 (1969年)

脚本

脚注

  1. ^ “山崎 徳次郎”. ザテレビジョン. 2022年8月18日閲覧。
  2. ^ a b c d e “山崎徳次郎”. 映画DB. 2021年8月18日閲覧。
  3. ^ a b “山崎 徳次郎”. 日本映画監督協会. 2022年8月18日閲覧。
  4. ^ 日活アクションの華麗な世界:1954-1971 未来社 2004 p.114-153 ISBN 4624710878
  5. ^ キネマ旬報 1969年10月秋の特別号 no.506 完成した荒い海 p.69-72