吉陽軍

吉陽軍(きつようぐん)は、かつて中国に存在した(中国語版)

歴史

政和7年(1117年)にそれまでの朱崖軍(中国語版)に代わって設置された[1]。治所は寧遠県(現在の海南省三亜市西北)に置かれ、広南西路(中国語版)に属した[2]。その領域は現在の三亜市の他に、楽東リー族自治県南シナ海などを含んでいた。紹興年間に瓊州の管轄下に編入され、洪武元年(1368年)に崖州と改められた。

出典

  1. ^ 田独镇拟更名为吉阳镇 素有三亚东大门之称 - ウェイバックマシン(2016年3月5日アーカイブ分)
  2. ^ 班偉 2016, p. 76

参考資料

  • 班偉「南海諸島に関する中国史籍の記載について(上)」『山陽論叢』第22巻、山陽学園大学紀要編集委員会、2016年3月18日、71-86頁、doi:10.24598/sanyor.22.0_71。 

関連項目

  • 吉陽礁 - 吉陽軍にちなんで命名された。
  • 表示
  • 編集
サブスタブ

この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています。

このテンプレートは分野別のサブスタブテンプレートやスタブテンプレート(Wikipedia:分野別のスタブテンプレート参照)に変更することが望まれています。

  • 表示
  • 編集