ヴィクトール・ペトレンコ
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2010年のペトレンコ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生誕 | (1969-06-27) 1969年6月27日(54歳) ウクライナ・ソビエト社会主義共和国オデッサ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
親族 | ウラジミール・ペトレンコ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 172 cm | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
世界フィギュアスケート殿堂 2018年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
代表国 | ウクライナ ソビエト連邦 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
引退 | 1992年、1994年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
指導者情報 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
役職 | 国際スケート連盟公認技術審判員 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ヴィクトール・ペトレンコ(ウクライナ語:Віктор Петренко、ロシア語:Виктор Петренко、ラテン文字:Viktor Petrenko、1969年6月27日[1] - )は、ウクライナ出身の男性フィギュアスケート選手で現在は国際スケート連盟公認技術審判員。1992年アルベールビルオリンピック男子シングル金メダリスト。1988年カルガリーオリンピック男子シングル銅メダリスト。1992年世界フィギュアスケート選手権優勝。ウクライナ語読みではヴィークトル・ペトレーンコに近い。
人物
- 1986年の世界ジュニアフィギュアスケート選手権を制したウラジミール・ペトレンコは実弟。
- ペトレンコはジュニア時代からガリーナ・ズミエフスカヤに師事しており、妻のニーナはズミエフスカヤの娘でもある。ズミエフスカヤの目に止まったのが天涯孤独となったオクサナ・バイウルであった。ズミエフスカヤがバイウルを引き取り、ペトレンコが経済援助をしていたという。
経歴
- 1969年、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国のオデッサに生まれる。
- 1983年世界ジュニアフィギュアスケート選手権で優勝。
- 1988年旧ソビエト連邦代表としてカルガリーオリンピックに出場し銅メダルを獲得。
- 1990年、1991年、1994年、欧州選手権で3度優勝。
- 1992年、旧ソ連統一チーム(EUN)代表としてアルベールビルオリンピックで金メダルを獲得。
- 1992年世界フィギュアスケート選手権で優勝し、プロに転向。
- 1994年、プロ解禁によりウクライナ代表としてリレハンメルオリンピックに出場、4位。再びプロスケーターとして活動。
- アメリカに移住し、プロスケーターとしてチャンピオンズ・オン・アイスなどで活躍し、現在は国際スケート連盟公認の技術審判員として活動している。
主な戦績
大会/年 | 1983-84 | 1984-85 | 1985-86 | 1986-87 | 1987-88 | 1988-89 | 1989-90 | 1990-91 | 1991-92 | 1993-94 |
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オリンピック | 3 | 1 | 4 | |||||||
世界選手権 | 9 | 5 | 6 | 3 | 6 | 2 | 2 | 1 | ||
欧州選手権 | 6 | 4 | 3 | 3 | 1 | 1 | 2 | 1 | ||
世界Jr.選手権 | 1 | |||||||||
スケートアメリカ | 3 | 2 | 1 | 1 | 1 | |||||
スケートカナダ | 3 | 2 | ||||||||
ネイションズ杯 | 2 | 1 | ||||||||
NHK杯 | 3 | 1 | 1 |
プログラム使用曲
シーズン | SP | FS | EX |
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1993-1994 | 歌劇『カルメン』より 闘牛士の歌 作曲: ジョルジュ・ビゼー | 歌劇『リゴレット』より 女は気まぐれ 歌劇『椿姫』より 作曲: ジュゼッペ・ヴェルディ | Baila Mi 演奏: ジプシー・キングス |
1991-1992 | 歌劇『カルメン』より 作曲: ジョルジュ・ビゼー | Raymond overture by アンブロワーズ・トマ Le Cid ballet music 作曲: ジュール・マスネ ワルツ第2番 作曲: フレデリック・ショパン I Vespi Siciliani overture 作曲: ジュゼッペ・ヴェルディ | Let's Twist Again 歌唱: Chubby Checker |
1987-1988 | パリの炎 by ボリス・アサフィエフ | ドン・キホーテ by レオン・ミンクス | アヴェ・マリア by フランツ・シューベルト |
脚注
- ^ 小坂有紀編『COLORS 2007 フィギュアスケート男子読本』あおば出版、2007年3月、p.124
外部リンク
- ヴィクトール・ペトレンコ - Olympic.org (英語)
- ヴィクトール・ペトレンコ - Olympedia(英語)
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1976: マーク・カックレル • 1977: ダニエル・ベランド • 1978: デニス・コイ • 1979: ヴィタリー・エゴロフ • 1980: アレクサンドル・ファデーエフ • 1981: ポール・ワイリー • 1982: スコット・ウィリアムズ • 1983: クリストファー・ボウマン • 1984: ヴィクトール・ペトレンコ • 1985: エリック・ラーソン • 1986: ウラジーミル・ペトレンコ • 1987: ルディ・ガリンド • 1988: トッド・エルドリッジ • 1989: ヴィアチェスラフ・ザゴロドニュク • 1990: イゴール・パシケビッチ • 1991: ヴァシリー・エレメンコ • 1992: ドミトリー・ドミトレンコ • 1993: エフゲニー・プリウタ • 1994: マイケル・ワイス • 1995: イリヤ・クーリック • 1996: アレクセイ・ヤグディン • 1997: エフゲニー・プルシェンコ • 1998: デリック・デルモア • 1999: イリヤ・クリムキン • 2000: シュテファン・リンデマン • 2001: ジョニー・ウィアー • 2002: 髙橋大輔 • 2003: アレクサンドル・シュービン • 2004: アンドレイ・グリアゼフ • 2005: 織田信成 • 2006: 小塚崇彦 • 2007: スティーブン・キャリエール • 2008-2009: アダム・リッポン • 2010: 羽生結弦 • 2011: アンドレイ・ロゴジン • 2012: 閻涵 • 2013: ジョシュア・ファリス • 2014: ナム・グエン • 2015: 宇野昌磨 • 2016: ダニエル・サモーヒン • 2017: ヴィンセント・ジョウ • 2018: アレクセイ・エロホフ • 2019: 樋渡知樹 • 2020: アンドレイ・モザリョフ • 2022: イリア・マリニン • 2023: 三浦佳生 |
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