ラマン・プラタセヴィチ

Раман Дзмітрыевіч Пратасевіч

ラマン・ドミトリエヴィチ・プラタセヴィチ
生誕 1995年5月5日
 ベラルーシミンスク
出身校 ベラルーシ国立大学(ベラルーシ語版、英語版)
職業 ジャーナリスト
雇用者 ラジオ・フリー・ヨーロッパ
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ラマン・ドミトリエヴィチ・プラタセヴィチベラルーシ語: Раман Дзмітрыевіч Пратасевіч1995年5月5日 - )は、ベラルーシジャーナリスト、政治活動家である[1]ロマン・プロタセビッチ[2](ラテン文字転写:Roman Protasevich)などと表記されることもある。

来歴

インスタントメッセージTelegramを活用したニュースサイトネフタ(ベラルーシ語版、英語版)を創設し、編集主幹を務める[1][2]アレクサンドル・ルカシェンコ政権反対派の一員として、抗議行動やソーシャルメディアグループを組織していたが、当局の圧力から逃れるため2019年に国外に移り、情報発信してきた[2]2020年11月、ベラルーシ当局のテロ活動関係者一覧表に掲載された[1]

2021年5月23日アテネからヴィリニュスに向かうライアンエアー4978便に搭乗していたところ、同機は航空交通管制当局からミンスクでの緊急着陸を命じられ、プラタセヴィチは他の複数の人物とともに拘束された[1][2]

2023年5月3日、国家権力の奪取を呼び掛けた罪などでベラルーシの裁判所から禁錮8年の有罪判決を言い渡された[3][4]

その後同月22日に恩赦を受け釈放されたことをベラルーシ政府筋メディアBeltaのインタビューの形で明らかにした。[5]

脚注

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  1. ^ a b c d “ウクライナ外務広報官 ベラルーシ反政権派拘束を批判 即時解放要求”. ウクルインフォルム通信 (2021年5月24日). 2021年5月25日閲覧。
  2. ^ a b c d “ベラルーシ強制着陸、反体制派に伸びる独裁者の手 弾圧強めるルカシェンコ大統領、ロシアの支援に頼り欧米と距離”. ウォールストリートジャーナル (2021年5月25日). 2021年5月25日閲覧。
  3. ^ “反政権活動家に禁錮8年 ベラルーシ”. 時事通信. (2023年5月3日). https://www.jiji.com/amp/article?k=2023050400046 2023年5月5日閲覧。 
  4. ^ “ベラルーシ上空通過中に強制着陸、反体制メディア元編集者に有罪判決”. 朝日新聞. (2023年5月3日). https://www.asahi.com/sp/articles/ASR536FQKR53UHBI01T.html 2023年5月5日閲覧。 
  5. ^ “Роман Протасевич помилован” (ロシア語). www.belta.by (2023年5月22日). 2023年6月3日閲覧。
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