マリア・アマリア・フォン・ザクセン

曖昧さ回避 当記事の人物の姪に当たるザクセン選帝侯フリードリヒ・クリスティアンの娘については「マリア・アマーリア・フォン・ザクセン (1757-1831)」をご覧ください。
マリーア・アマリア・デ・サホニア
María Amalia de Sajonia
スペイン王妃
在位 1759年8月10日 - 1760年9月27日

全名 Maria Amalia Christina von Sachsen
出生 1724年11月24日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ザクセン選帝侯領ドレスデン
死去 (1760-09-27) 1760年9月27日(35歳没)
スペイン帝国マドリード
埋葬 スペイン帝国エル・エスコリアル修道院
結婚 1738年 ナポリ王国、ポルテッラ
配偶者 スペイン王カルロス3世
子女 本文参照
家名 ヴェッティン家アルベルティン家
父親 ザクセン選帝侯ポーランド王アウグスト3世
母親 マリア・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ
宗教 ローマ・カトリック
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マリア・アマーリア・フォン・ザクセン(Maria Amalia Christina von Sachsen, 1724年11月24日 - 1760年9月27日)は、スペイン王カルロス3世の王妃。ヴェッティン家の出身。スペイン語名はマリーア・アマリア・デ・サホニア(María Amalia de Sajonia)、イタリア語名はマリーア・アマリア・ディ・サッソニア(Maria Amalia di Sassonia)。

生涯

ザクセン選帝侯ポーランド王アウグスト3世と神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世の長女マリア・ヨーゼファの娘としてドレスデンで生まれた。妹マリア・ヨーゼファフランス王太子ルイ・フェルディナン妃。

1738年、当時ナポリ王およびシチリア王であったカルロス3世と結婚した。2人の間には13人の子が生まれ、7人が成人した。

  • マリア・イサベル・アントニエタ(1740年 - 1742年、夭折)
  • マリア・ホセファ・アントニエタ(1742年、夭折)
  • マリア・イサベル・アナ(1743年 - 1749年、夭折)
  • マリア・ホセファ・カルメラ(1744年 - 1801年)
  • マリア・ルイサ(1745年 - 1792年) - 神聖ローマ皇帝レオポルト2世の皇后
  • フェリペ(1747年 - 1777年) カラブリア公。病により継承辞退。
  • カルロス4世(1748年 - 1819年)
  • マリア・テレサ(1749年、夭折)
  • フェルナンド(1751年 - 1825年) - シチリア王フェルディナント3世およびナポリ王フェルディナント4世
  • ガブリエル(1752年 - 1788年) - ポルトガル王女マリアナ・ビクトリアと結婚。
  • アナ・マリア(1754年 - 1755年、夭折)
  • アントニオ・パスクアル(1755年 - 1817年) - スペイン王女マリア・アマリア(兄カルロス4世の娘)と結婚。
  • フランシスコ・ハビエル(1757年 - 1771年、夭折)

マリア・アマリアは1760年に肺結核で死去した。

スペイン王国旗スペイン正配(王妃・王配)スペイン王国章
アブスブルゴ朝
ボルボン朝
ボナパルテ朝
ボルボン朝
サボヤ朝

第一共和政 1873-1874

ボルボン朝

マリア・デ・ラス・メルセデス・デ・オルレアンス 1874-1885 / マリア・クリスティーナ・デ・アブスブルゴ=ロレーナ / ビクトリア・エウヘニア・デ・バッテンベルグ

第二共和政 1931-1939

フランコ体制 1939-1975

ボルボン朝

ソフィア・デ・グレシア 1975-2014 / レティシア・オルティス 2014-現在

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