ピエトロ・リベリ

ピエトロ・リベリ
息子マルコ・リベリによる肖像画 1665年-1675年頃
パドヴァエレミターニ市立美術館(英語版)所蔵
本名 Pietro Liberi
誕生日 1605年
出生地 パドヴァ
死没年 1687年10月18日
死没地 ヴェネツィア共和国ヴェネツィア
運動・動向 バロック
芸術分野 絵画(宗教画、神話画、寓意画)
教育 パドヴァニーノ
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サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の『祈りの中でヴェネツィアとともにあるパドヴァの聖アントニウス』。
サンタ・マリア・アッスンタ教会(英語版)の聖フランシスコ・ザビエル礼拝堂祭壇画『東洋で説教するフランシスコ・ザビエル』。
カルミニ教会(英語版)の『トラパニの聖アルベルト』。

ピエトロ・リベリ: Pietro Liberi, 1605年1687年10月18日)は、イタリアバロック時代画家である。主にヴェネツィアヴェネトで活躍した。主に宗教画を描いた半面、しばしば官能的な主題を選択したためリベルティーノil Libertino, 放蕩者)の愛称で呼ばれた。

生涯

リベリはパドヴァで生まれ、パドヴァニーノのもとで最初の修業をした。リベリは波瀾に満ちた人生を送った。イタリアを広範囲に旅行したのち、イスタンブールへ向かう航海の途中でチュニスの海賊に8か月間拘束された。マルタを通じて解放されたリベリはシチリア島ナポリピサを訪れた。彼の生涯の数年間、リベリはサラセン人に対してトスカーナ公国のために戦っていたカヴァリエール(cavaliere, 騎士の意)のアントニオ・マンフレディーニ(Antonio Manfredini)の軍隊で傭兵になり、現在のトルコイスケンデルンにあるシキア城(Castle of Sichia)を占領するために戦った。

従軍を終えるとトスカーナリボルノに戻り、1637年にリスボンを訪れ、さらにフランス南部沿岸のリグーリアスペインマドリードを訪れた。トスカーナに戻って再び絵画に集中し、ローマに旅行した。ローマで彼は彫版師ステファノ・デラ・ベラ(英語版)とともに生活し、レオポルド・デ・メディチのために『サビニの女たちの略奪』を描いた。その後、フィレンツェに戻って神愛オラトリオ会(英語版)に天井画を描いた。1643年にはヴェネツィアに旅行し、サンタ・マリア・デイ・デレリッティ(英語版)のために福音書記者たちを描いた。ヴェネツィアのサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂の大祭壇画(1650年)や、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂のために『祈りの中でヴェネツィアとともにあるパドヴァの聖アントニウス』もまたリベリの作品である。1662年、総督フランチェスコ・モリノ(Francesco Molino)によって騎士に叙された[1]

ドゥカーレ宮殿には『ダーダネルスの戦い』(Battle of the Dardanelles)のフレスコ画を描き、オンニッサンティ教会(英語版)のために『幼児虐殺』を、ヴィチェンツァ大聖堂(英語版)のために『箱舟を去るノア』(Noah leaving the Ark)を描き、ベルガモのサンタ・マリア・マッジョーレ教会には『大洪水』(Deluge)を描いた[2]

リベリは例えばエストニアタリンにあるエストニア美術館(英語版)の一部であるカドリオルグ宮殿(英語版)に所蔵されている作品によって代表される。彼の傑作はサン・モイゼ教会(英語版)の祭壇画『十字架を発見した聖ヘレナ』(Sant' Elena finding the Cross)である。

弟子

息子のマルコ・リベリ(英語版)も画家となった[3]。他の弟子にはジャンナントニオ・ラザリ(Giannantonio Lazzari)がいる[4]

ギャラリー

  • 『ディアナとカリスト』1650年頃 エルミタージュ美術館所蔵
    『ディアナとカリスト』1650年頃 エルミタージュ美術館所蔵
  • 『ディアナとアクタイオン』1660年頃 絵画館 所蔵
    『ディアナとアクタイオン』1660年頃 絵画館 所蔵
  • 『ディアナとカリスト』1670年頃 エルミタージュ美術館所蔵
    『ディアナとカリスト』1670年頃 エルミタージュ美術館所蔵
  • 『ヴィーナスとキューピッド、三美神』ヨアネウム(英語版)所蔵
    『ヴィーナスとキューピッド、三美神』ヨアネウム(英語版)所蔵
  • 『キューピッドへの罰』個人蔵
    『キューピッドへの罰』個人蔵

脚注

  1. ^ Giannantonio Moschini 2011, p.114–116.
  2. ^ Maria Farquhar, Ralph Nicholson Wornum 2006, p.84
  3. ^ Luigi Antonio Lanzi 1878, p.266.
  4. ^ Filippo de Boni 1840, p.542.

参考文献

ウィキメディア・コモンズには、ピエトロ・リベリに関連するカテゴリがあります。
  • Chiara Accornero. Pietro Liberi. Cavaliere e fenice dei pittori. Dalle avventure di spada alle lusinghe dell'accademia. ZeL Edizioni (2013)
  • Giannantonio Moschini. Della Origine E Delle Vicende Della Pittura In Padova... Nabu Press (2011)
  • Maria Farquhar, Ralph Nicholson Wornum. ed. Biographical catalogue of the principal Italian painters. Woodfall & Kinder (1855); Digitized by Googlebooks from Oxford University copy (2006)
  • Luigi Antonio Lanzi. The History of Painting in Italy: The schools of Naples, Venice, Lombardy, Mantua, Modena, Parma, Cremona, and Milan. (1878)
  • Filippo De Boni. Biografia Degli Artisti V1, Part 2. Kessinger Pub Co (1840)
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