ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はロペス第二姓(母方の姓)はガルシアです。
ウィキポータル クラシック音楽
ポータル クラシック音楽
ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス

ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス・ロペス・ガルシアVictoria de los Ángeles López García 1923年11月1日 - 2005年1月15日)は、スペインソプラノ歌手。英語のアルファベットにより、Victoria de los Angeles と表記されることが多い(例:『ガーディアン』、2005年1月17日付、訃報[1]。)。

経歴

本名は Victoria de los Ángeles López García(Victoria de los Ángeles までがファースト・ネーム)。バルセロナ出身。幼少期より声楽とギターを習い始め、長じてリセウ高等音楽院に進んでピアノと声楽を学んでいる。1944年にバルセロナでリサイタルを開いてプロ・デビューを飾る。翌年にはリセオ歌劇場(リセウ大劇場)でモーツァルトフィガロの結婚』の伯爵夫人役を歌ってオペラ歌手としてもデビューする事になるが、リセウ音楽院在籍中の1941年にはプッチーニ『ラ・ボエーム』のミミ役を歌うという形で舞台経験は既にあったようである。

その後1947年のジュネーヴ国際音楽コンクールで優勝して脚光を浴びるようになる。1948年にはBBC放送でファリャの『はかなき人生』のサルード役、1949年パリ・オペラ座グノーの『ファウスト』マルグリート役を歌い、1950年にはザルツブルク音楽祭コヴェント・ガーデンロイヤル・オペラ・ハウスミラノスカラ座にデビューするなど国際的な大舞台で大活躍する日々を送る事になる。この年はニューヨークカーネギー・ホールでリサイタルを開き、アメリカデビューも果たしている。

翌1951年の5月には『ファウスト』マルグリート役でメトロポリタン歌劇場にデビュー、1961年までほとんど毎年のように出演を続け、生地の歌劇場を除くとロス・アンヘレスがもっとも多く登場したオペラ・ハウスはメトロポリタンであろうと言われている。1957年にはウィーン国立歌劇場にもデビュー。

1961年にはバイロイト音楽祭に登場、この年と翌1962年にヴォルフガング・サヴァリッシュの指揮で『タンホイザー』を歌っているが、この頃からオペラ・ハウスとは少しずつ距離を置き始め、コンサート活動の方に軸足を移して行く事になる。この時代のリサイタル活動でもっとも有名な録音は1964年、ロンドンロイヤル・フェスティヴァル・ホールでのジェラルド・ムーアとの共演をライヴ録音した『イン・コンサート』である。

1992年、彼女の生地で開かれたバルセロナオリンピックの閉会式でカタルーニャ民謡『鳥の歌』を歌った。

ディスコグラフィ

オペラ全曲

脚注

出典

  1. ^ “Obituary: Victoria de los Angeles” (英語). ガーディアン. (2005年1月17日). オリジナルの2019年12月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20191201143328/https://www.theguardian.com/news/2005/jan/17/guardianobituaries.artsobituaries 2019年12月1日閲覧。 

外部リンク

  • ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス - Find a Grave(英語)
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • FAST
  • ISNI
    • 2
  • VIAF
    • 2
  • WorldCat
国立図書館
  • ノルウェー
  • スペイン
    • 2
  • フランス
  • BnF data
  • カタルーニャ
  • ドイツ
  • イタリア
  • イスラエル
  • フィンランド
  • アメリカ
  • スウェーデン
  • ラトビア
  • チェコ
  • オーストラリア
  • クロアチア
  • オランダ
  • ポーランド
学術データベース
  • CiNii Books
  • CiNii Research
芸術家
  • MusicBrainz
人物
  • BMLO
  • ドイッチェ・ビオグラフィー
  • Trove(オーストラリア)
    • 1
その他
  • SNAC
  • IdRef