ジェームズ・タイトラー

ジェームズ・タイトラー

ジェームズ・タイトラーJames "Balloon" Tytler1745年12月17日 - 1804年1月11日)は、スコットランドの著述家、航空のパイオニアである。モンゴルフィエ兄弟気球による飛行の翌年の1784年8月スコットランドで熱気球の飛行に成功した。またブリタニカ百科事典の著者のひとりである。

アンガスのFearnに生まれた。外科医の教育を受け、薬剤師の仕事を始めた。多くの著書を出版し、ブリタニカの第2版の執筆も行なった。1783年モンゴルフィエ兄弟の熱気球の成功のニュースを受けて、1784年に熱気球の製作を行ない8月24日エディンバラで高さ40 フィート(以降ft)で半マイルの熱気球の飛行に成功した。最初の飛行の目撃者は少なかったが、飛行のニュースは4日後の第2回目の飛行に多くの観客を集めて100 ftの高さで飛行して見せた。その後の飛行には成功せず、当時スコットランドにいたイタリア人ヴィンチェンゾ・ルナルディ(Vincenzo Lunardi )が翌年、5回の見事な飛行を見せたためにタイトラーの飛行は忘れられた存在になってしまった。

1793年からブリタニカの3版の記事の執筆を始めるが、反政府的なパンフレットを書いたことによって起訴されたため、スコットランドからアイルランドに亡命し、さらにアメリカ合衆国に渡り、1804年マサチューセッツ州のセイラムで没した。

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  • James Tytler and the Grand Edinburgh Fire Balloon
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