ジェレミー・ハント (政治家)

ジェレミー・ハント
Jeremy Hunt
2022年10月14日
生年月日 (1966-11-01) 1966年11月1日(57歳)
出生地 イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランド ロンドン ケニントン(英語版)
出身校 オックスフォード大学 モードリン・カレッジ(英語版)
前職 ホットコース(英語版)共同経営者
所属政党 保守党
配偶者 ルシア・グオ (2009年結婚)
子女 3人
親族 ニコラス・ハント(英語版) (父)
公式サイト [公式ウェブサイト ]

イギリスの旗 イギリス
第76代財務大臣
内閣 トラス内閣
スナク内閣
在任期間 2022年10月14日 -
首相 リズ・トラス
リシ・スナク

内閣 第2次メイ内閣
在任期間 2018年7月9日 - 2019年7月24日
首相 テリーザ・メイ

イギリスの旗 イギリス
保健・社会介護大臣
内閣 第1次キャメロン内閣
第2次キャメロン内閣
第1次メイ内閣
第2次メイ内閣
在任期間 2012年9月4日 - 2018年7月9日
首相 デーヴィッド・キャメロン
テリーザ・メイ

内閣 第1次キャメロン内閣
在任期間 2010年5月11日 - 2012年9月4日
首相 デーヴィッド・キャメロン

イギリスの旗 イギリス
影の文化・メディア・スポーツ大臣(英語版)
内閣 キャメロン影の内閣(英語版)
在任期間 2007年7月2日 - 2010年5月11日
首相 ゴードン・ブラウン

その他の職歴
イギリスの旗 イギリス
影の障碍者担当大臣

(2007年7月2日 - 2010年5月11日)
サウス・ウェスト・サリー選挙区(英語版)選出庶民院議員
(2005年12月6日 - 2007年7月2日)
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ジェレミー・リチャード・ストレインサム・ハント(英語:Jeremy Richard Streynsham Hunt1966年11月1日 - )は、イギリス政治家、実業家。現在、同国財務大臣、サウス・ウェスト・サリー選挙区(英語版)選出庶民院議員(2005年5月5日初当選)。外務・英連邦大臣、保健・社会介護大臣、文化・オリンピック・メディア・スポーツ大臣を歴任した。一国保守主義者(英語版)とされ、経済自由主義的政策と社会自由主義的政策に関わっている。これまでに保守党党首選挙に2度出馬しているが、いずれも敗退している。

来歴

1966年11月1日にランベス区ケニントンにあるランベス病院に誕生した。育ちは現在の選挙区に近いロンドン南西近郊サリー州ギルフォード (バラ・オブ・ギルフォード(英語版)) の村であるシェアである[1]ジェントリの家系であり[2]、父方の曽祖母はイギリス東インド会社の先駆者の1人であるストレインサム・マスターの子孫に当たる[3]。また、エリザベス2世オズワルド・モズレーは遠縁に当たる[4]オックスフォード大学モードリン・カレッジ在学中から保守党を支持しており、党員として長い活動歴を誇る。卒業後はOC&Cストラテジーでコンサルタントとして働いた後、2年近く日本に滞在し、英語教師を務めた[5]。帰国後は幾つもの事業を手掛け、その中には不首尾に終わったものの、日本へのマーマレード輸出業もあった[6]。最も成功したのは幼少時からの親友マイク・エルムズと共に起業した教育関係事業のホットコースであり、ハントは後に同事業を豪州のIDPエデュケーションに売却することで英国国会議員随一の資産家となった[7]

政界入り

リシ・スナク首相、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領と(2023年2月8日)

労働党のブレア政権で実施された2005年の総選挙で庶民院議員に初当選した。当時野党の保守党党首選挙(2005年12月)に立候補したデービッド・キャメロンを支援したことで、党首に就任した後のキャメロンから重用され、2005年から影の内閣障害者担当閣外相、2007年から影の内閣文化・メディア・スポーツ担当閣内相を務めた。

2010年に保守党が政権を奪取し、文化・オリンピック・メディア・スポーツ担当相に就任した。この役職は2012年のロンドンオリンピックを主管するものだったが、実業界での経験も十分に生かしてこの大会を成功裡に終了させ、イギリスの国威発揚・景気浮揚に著しい貢献を果たした。その後2012年から2018年までは、デーヴィッド・キャメロン及びテリーザ・メイ政権で保健大臣を務め、2018年7月9日ボリス・ジョンソンの辞任を受けて外務・英連邦大臣に任命された[8]

メイ首相の辞任表明を受けて2019年6月より実施された保守党党首選挙に出馬し、5回の議員投票では投票の度に票を積み上げた。5回目の投票でマイケル・ゴーヴ環境相を僅差で下し、ジョンソン前外相との決選投票に進んだ[9]。党員投票の結果、得票数は4万6656票にとどまり、9万2153票を獲得したジョンソン前外相に敗れた[10]

ハントの選挙運動はサウジアラビアの王太子であるムハンマド・ビン・サルマーンの側近によって支援されていた[11]。メイ内閣の総辞職と共に外相を退任した。

ジョンソン首相の辞任表明を受けて2022年7月より実施された保守党党首選挙に出馬。前回の党首選挙では当選者のジョンソンと最後まで争ったが、今回は第1回目の投票で18票の最下位にとどまり、早々に敗退した[12]。選挙の結果リズ・トラス前外相が当選し、同年9月に政権が発足したが、トラスが選挙時の公約としていた減税策を含む経済政策を発表するとスターリング・ポンドが急落するなど大混乱に陥り、保守党内部からのクワシ・クワーテン財務大臣の解任を求める声に抗しきれなくなったトラスは10月14日にクワーテンを更迭、後任にハントを据えた[13]。ハントは就任早々となる同月17日にトラスの公約に掲げていた減税策などを相次いで撤回した[14]が、経済混乱からトラス内閣の支持率が記録的な低水準に陥り、政権内部の混乱も続いたことで首相の求心力の低下は避けられず、結局トラスは同月20日に首相辞任発表に追い込まれている。トラスの後継候補としてハントも一部メディアでは名前が挙がった[15]ものの、ハント自身は党首選挙でリシ・スナク支持を表明した[16]

ブレグジットへのスタンス

2016年に実施されたブレグジットに関する国民投票では、離脱支持の可能性を示唆したこともあったが[17]、最終的には残留に票を投じた[18]

メイ政権の閣僚として、国民投票の結果を尊重する政治スタンスを採った。EUの交渉姿勢の「傲慢さ」を批判したこともある[19]。2019年の保守党党首選挙で見せたように、離脱強硬派のボリス・ジョンソン前外相らと比べると、総じて穏健離脱派としての立ち位置にある。

日本との関係

上述のように1990年代に英語教師として滞日しており、日本語に堪能である。京都に8か月、長崎、東京にそれぞれ6か月ずつ滞在した[5]2012年4月10日に味の素ナショナルトレーニングセンターを訪れ、吉田沙保里伊調馨北島康介らを激励した。2019年4月に外相として来日した際には、都立日比谷高校において日本語での模擬授業を行っている。

私生活

2009年西安市出身のルシア夫人と結婚し、1男2女をもうけている[20][21]2018年7月30日に中華人民共和国を訪問した際、妻を「日本人です」と言い間違え、様々な憶測を呼んだ。2019年の旧正月のメッセージでは、改めて「私の妻は日本人ではなく中国人」と紹介している[22]

尊敬する政治家としてマーガレット・サッチャー奴隷制廃止主義者・博愛主義者のウィリアム・ウィルバーフォースを挙げている[23]。ちなみにイギリス国教会クリスチャンで、合理的楽観主義者である[24]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ “Jeremy Hunt opens Radisson Edwardian Guildford – and shares hotel tipping advice... – Places”. Surrey Life. (2011年11月3日). http://www.surreylife.co.uk/out-about/places/jeremy_hunt_opens_radisson_edwardian_guildford_8211_and_shares_hotel_tipping_advice_1_1647952 2015年7月27日閲覧。 
  2. ^ Burke's Landed Gentry 1952, 17th edition, ed. L. G. Pine, Burke's Peerage Ltd, p. 1320, Hunt of Boreatton pedigree
  3. ^ Burke's Peerage, Baronetage and Knightage, 2003, vol. 3, p. 3285
    また、ストレインサム・マスターの甥には海軍大将サー・ジョージ・ポコックなどがいる。
  4. ^ Jowit, Juliette; Malik, Shiv; Siddique, Haroon (2012年9月4日). “Cabinet reshuffle: who has moved so far? | Politics”. The Guardian. https://www.theguardian.com/politics/2012/sep/04/new-cabinet 2015年7月27日閲覧。 
  5. ^ a b “Jeremy Hunt praised for becoming first UK minister to give speech in Japanese” (英語). Sky News. 2022年7月6日閲覧。
  6. ^ “Jeremy Hunt MP”. web.archive.org (2009年10月30日). 2022年7月6日閲覧。
  7. ^ “Hunt makes millions from sale of Hotcourses” (英語). BBC News. (2017年1月16日). https://www.bbc.com/news/business-38638577 2022年7月6日閲覧。 
  8. ^ “Jeremy Hunt appointed as new Foreign Secretary following resignation of Boris Johnson”. 2018年7月10日閲覧。
  9. ^ “次期英首相争い ジョンソン、ハント両氏の一騎打ちに”. AFPBB News. フランス通信社. (2019年6月21日). https://www.afpbb.com/articles/-/3231181 2019年6月21日閲覧。 
  10. ^ “ボリス・ジョンソン前外相、イギリスの次期首相に決定 英保守党党首選”. BBC News. BBC. (2019年7月23日). https://www.bbc.com/japanese/49079871 2019年7月23日閲覧。 
  11. ^ “Jeremy Hunt's bid for prime minister is being funded by a close ally of Saudi prince Mohammed Bin Salman”. Business Insider. (2019年7月5日). https://www.businessinsider.com/jeremy-hunt-campaign-funded-by-saudi-prince-mohammed-bin-salman-ally-2019-7 2019年7月24日閲覧。 
  12. ^ “英与党党首選スナク氏首位 第1回投票、ハント氏ら脱落”. 日本経済新聞. (2022年7月14日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR13EFS0T10C22A7000000/ 2022年7月22日閲覧。 
  13. ^ “クワーテング英財務相が解任 減税策で経済混乱、史上2番目に短い在任38日”. BBC News. BBC. (2022年10月14日). https://www.bbc.com/japanese/63259800 2022年10月14日閲覧。 
  14. ^ ハント新財務相、経済対策の一部撤回を発表(英国) - ビジネス短信(日本貿易振興機構)2022年10月18日
  15. ^ 英首相の後継候補、スナク元財務相が有力か - ロイター 2022年10月21日
  16. ^ “スーナク元財務相、イギリスの次期首相に 与党党首選で勝利”. BBC News. BBC. (2022年10月24日). https://www.bbc.com/japanese/63369216 2022年10月24日閲覧。 
  17. ^ “https://twitter.com/andywoodcock/status/586448281951047680”. Twitter. 2022年7月6日閲覧。
  18. ^ “英新外相にハント氏 かつての残留派、日本語が得意な一面も”. 2019年5月28日閲覧。
  19. ^ “How remain-voting Tories responded to new referendum question” (英語). the Guardian (2017年10月11日). 2022年7月6日閲覧。
  20. ^ “About Jeremy”. jeremyhunt.org. 2016年2月8日閲覧。
  21. ^ Guyoncourt, Sally (2015年10月11日). “Helen Goodman faces backlash from Labour MPs over Jeremy Hunt tweet”. The Independent. https://www.independent.co.uk/news/people/helen-goodman-faces-backlash-from-labour-mps-over-jeremy-hunt-tweet-a6690261.html 
  22. ^ “「私の妻は日本人ではなく中国人です」、英外相が新年のあいさつ”. レコードチャイナ (2019年2月7日). 2019年2月9日閲覧。
  23. ^ Shipman, Tim (2019年5月25日). “I'll make a Brexit deal because business is my bread and butter, says Jeremy Hunt”. The Sunday Times. https://www.thetimes.co.uk/article/ill-make-a-brexit-deal-because-business-is-my-bread-and-butter-says-jeremy-hunt-drg883zpj 2019年6月5日閲覧。 
  24. ^ “Jeremy Hunt: the last Cameroon”. New Statesman. https://www.newstatesman.com/politics/uk/2019/04/jeremy-hunt-last-cameroon 2019年7月2日閲覧。 

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、ジェレミー・ハント (政治家)に関連するカテゴリがあります。
  • [1] 公式サイト
  • [2]
  • [3]
  • [4]
  • [5]
  • [6]
  • Jeremy Hunt's YouTube Channel
  • Profile: Jeremy Hunt BBC News
  • Meet the MP in June 2005
  • Talking on the BBC World Service about the 2005 election campaign
公職
先代
クワシ・クワーテン
イギリスの旗 財務大臣
第76代:2022年10月14日 -
現職
先代
ボリス・ジョンソン
イギリスの旗 外務・英連邦大臣
第19代:2018年7月9日 - 2019年7月24日
次代
ドミニク・ラーブ
G7(G8)の財務大臣
    カナダの旗 クリスティア・フリーランド
フランスの旗 ブリュノ・ル・メール(英語版)
イギリスの旗 ジェレミー・ハント
ドイツの旗 クリスティアン・リントナー
イタリアの旗 ダニエレ・フランコ(英語版)
日本の旗 鈴木俊一
アメリカ合衆国の旗 ジャネット・イエレン
ロシアの旗 アントン・シルアノフ
イギリスの旗 イギリスの財務大臣
イングランド
  • ユースタス・オブ・ファーコンバーグ(英語版)1221頃-?
  • マンセル(英語版)1234頃-?
  • レスター1248以前
  • ウェストミンスター1248-?
  • フィスキャンプ1263以前
  • チスハル(英語版)1263-1265
  • W.ジフォード(英語版)1265-1266
  • G.ジフォード(英語版)1266-1268
  • チスハル(英語版)1268-1269
  • ミドルトン(英語版)1269-1272
  • ド・レ・レイエ1283以前
  • ニューバンド1283以前
  • ウィロウビー(英語版)1283-1305
  • ベンスティディ(英語版)1305-1306
  • サンデール(英語版)1307-1308
  • マーケンフィールド1309-1312
  • ホーサム(英語版)1312-1316
  • スタントン(英語版)1316-1323頃
  • ステープルドン(英語版)1323-1324頃
  • スタントン(英語版)1324-1327
  • ハーヴィントン(英語版)1327-1330
  • ウッドハウス(英語版)1330-1331
  • ストラトフォード(英語版)1331-1334
  • ヒルデスリー1338頃-?
  • エヴァードン1341-?
  • アスケビー1363-?
  • アシュトン(英語版)1375-1377
  • バーナム1377-1399
  • ソマー(英語版)1410-1437
  • サマセット(英語版)1441-1447
  • ブラウン(英語版)1440頃-1450頃
  • ウィザム(英語版)1454-?
  • ファウラー(英語版)1469-1471
  • スウェイツ(英語版)1471-1483
  • ケイツビー(英語版)1483-1484頃
  • ラベル(英語版)1485-1524
  • バーナーズ男爵(英語版)1524-1533頃
  • エセックス伯爵1533-1540
  • ベイカー(英語版)1545-1558
  • サックヴィル(英語版)1559-1566
  • マイルドメイ(英語版)1566-1589
  • フォーテスキュー(英語版)1589-1603
  • ダンバー伯爵(英語版)1603-1606
  • シーザー(英語版)1606-1614
  • グランヴィル(英語版)1614-1621
  • ウェストン(英語版)1621-1628
  • バレット卿(英語版)1628-1629
  • コティントン男爵(英語版)1629-1642
  • カルペパー(英語版)1642-1643
  • ハイド1643-1646
  • 空位期(英語版)1646-1660
  • ハイド1660-1661
  • アシュリー男爵1661-1672
  • ダンクーム1672-1676
  • アーンリ(英語版)1676-1689
  • デラマー男爵(英語版)1689-1690
  • ハムデン(英語版)1690-1694
  • モンタギュー1694-1699
  • スミス1699-1701
  • ボイル1701-1708
グレートブリテン
  • ボイル1708-1710
  • スミス1708-1710
  • ハーレー1710-1711
  • ベンソン1711-1713
  • ウィンダム1713-1714
  • オンズロー1714-1715
  • ウォルポール1715-1717
  • スタンホープ伯爵1717-1718
  • エイズラビー1718-1721
  • プラット(代理)1721
  • ウォルポール1721-1742
  • サンズ1742-1743
  • ペラム1743-1754
  • リー(代理)1754
  • ビルソン=レッグ1754-1755
  • リトルトン1755-1756
  • ビルソン=レッグ1756-1757
  • マンスフィールド男爵(英語版)1757
  • ビルソン=レッグ1757-1761
  • バリントン子爵1761-1762
  • ル・ディスペンサー男爵1762-1763
  • グレンヴィル1763-1765
  • ダズウェル(英語版)1765-1766
  • タウンゼンド1766-1767
  • ノース卿1767-1782
  • キャヴェンディッシュ(英語版)1782
  • 小ピット1782-1783
  • キャヴェンディッシュ(英語版)1783
  • 小ピット1783-1801
  • アディントン1801-1804
  • 小ピット1804-1806
  • エレンバラ男爵(英語版)(代理)1806
  • ペティ=フィッツモーリス1806-1807
  • パーシヴァル1807-1812
  • ヴァンシッタート(英語版)1812-1817
連合王国
外務大臣
  • フォックス1782-1783
  • グランサム男爵1782-1783
  • フォックス1783
  • テンプル伯爵1783
  • リーズ公爵1783-1791
  • グレンヴィル男爵1791-1801
  • ホークスベリー男爵1801-1804
  • ハロービー伯爵(英語版)1804-1805
  • マルグレーブ伯爵1805-1806
  • フォックス1806
  • ハウィック子爵1806-1807
  • カニング1807-1809
  • バサースト伯爵1809
  • ウェルズリー侯爵1809-1812
  • カースルレー子爵1812-1822
  • カニング1822-1827
  • ダドリー伯爵(英語版)1827-1828
  • アバディーン伯爵1828-1830
  • パーマストン子爵1830-1834
  • ウェリントン公爵1834-1835
  • パーマストン子爵1835-1841
  • アバディーン伯爵1841-1846
  • パーマストン子爵1846-1851
  • グランヴィル伯爵1851-1852
  • マームズベリー伯爵1852
  • ラッセル1852-1853
  • クラレンドン伯爵1853-1858
  • マームズベリー伯爵1858-1859
  • ラッセル伯爵1859-1865
  • クラレンドン伯爵1865-1866
  • スタンリー卿1866-1868
  • クラレンドン伯爵1868-1870
  • グランヴィル伯爵1870-1874
  • ダービー伯爵1874-1878
  • ソールズベリー侯爵1878-1880
  • グランヴィル伯爵1880-1885
  • ソールズベリー侯爵1885-1886
  • ローズベリー伯爵1886
  • イデスリー伯爵1886-1887
  • ソールズベリー侯爵1887-1892
  • ローズベリー伯爵1892-1894
  • キンバリー伯爵1894-1895
  • ソールズベリー侯爵1895-1900
  • ランズダウン侯爵1900-1905
  • グレイ1905-1916
  • バルフォア1916-1919
  • カーゾン侯爵1919-1924
  • マクドナルド1924
  • チェンバレン1924-1929
  • ヘンダーソン1929-1931
  • レディング侯爵1931
  • サイモン1931-1935
  • ホーア(英語版)1935
  • イーデン1935-1938
  • ハリファックス子爵1938-1940
  • イーデン1940-1945
  • ベヴィン1945-1951
  • モリソン1951
  • イーデン1951-1955
  • マクミラン1955
  • ロイド(英語版)1955-1960
  • ヒューム伯爵1960-1963
  • バトラー1963-1964
  • ゴードン・ウォーカー(英語版)1964-1965
  • ステュアート(英語版)1965-1966
  • ブラウン(英語版)1966-1968
  • ステュアート(英語版)1968
外務・英連邦大臣
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