シエンクワーン王国

ラオスの歴史
先史時代
ラーンサーン王国 (1353 - 1707)
三王国時代 (1707 - 1779)
シエンクワーン王国
シャム植民地 (1779 - 1893)
フランス植民地時代 (1893 - 1949)
ラオス王国 (1950 - 1975)
ラオス人民民主共和国 (1975 - 現在)
かつて存在したベトナムの国家
文郎国 (前2879年 - 前258年)
南越 (前207年 - 前111年)
扶南 (1年 - 630年)
チャンパ(占城) (192年 - 1832年)
真臘 (550年 - 802年)
シエンクワーン(盆蛮) (1369年 - 1478年)
ジャライ王国 (15世紀 - 19世紀)
マ王国 (15世紀 - 17世紀)
アドハム王国(ベトナム語版) (18世紀 - 19世紀)
セダン王国(英語版) (1888年 - 1890年)

シエンクワーン王国(Xiangkhouang)は、現在のラオスベトナム国境にあった半独立の王国。首都はシエンクワーン(シェンクワン、現在のシエンクワーン県シエンクワーン郡)。

概略

シエンクワーンは、おおよそ現在のラオス・シエンクワーン県、及びベトナム・ゲアン省にまたがる地域であり、長年にわたってラーンサーン王朝の支配下にあった。

1787年ベトナム西山(タイソン)朝が成立すると、西山朝の太祖・阮文恵は、ラオス方面に勢力を於くことを画策した。同年、阮文恵は、当時ゲアン(乂安)にいたカイサーンに兵を率いてシエンクワーンに侵入させ、同地の領主に西山朝への入貢を要求した。これに対し、ラーンサーン王朝の末裔であるヴィエンチャン王国国王のナンタセーン・ポンマラオはすぐにシエンクアーンへ派兵し、カイサーンの軍勢を制圧した。しかし、翌1788年には3000の兵を従えたカイサーンが再び侵入し、結局ナンタセーン・ポンマラオはシエンクワーンの領主に対して西山朝への入貢を認めた。

これにより、シエンクワーンはヴィエンチャン王国領でありながら、ベトナム王朝(西山朝、及び阮朝)の勢力下に置かれるという、半独立した非常に不安定な地域となった。その後、ヴィエンチャン王国滅亡によりシエンクワーンはシャム(チャクリー王朝)の領地となったが、1893年フランスが旧ルアンパバーン王国の宗主権をシャムから獲得すると、1899年にシエンクワーンはトンキンとルアンパバーンに分けられる形でインドシナ連邦に組み込まれた。

関連項目

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