ウエスタン・サルーン

ジャッジ・ロイ・ビーンのサルーン「Jersey Lilly」。テキサス州ラングトリー。1900年頃

ウエスタン・サルーン(Western Saloon)ないしサルーンは、開拓時代のアメリカ西部に特有のバーである。 サルーンは、猟師や、カウボーイ、兵士、砂金掘り(英語版)鉱夫ギャンブラーといった客向けのサービスを行っていた。 最初のサルーンは、1822年、ワイオミング[1]のブラウンズホール(Brown's Hole)で、猟師にサービスするために開業した[2]。 1850年代後半になると、サルーンという言葉は、酒や食事を出し副次的に宿泊もできる施設として、住所録に登場し、一般に使われるようになった[3]。 1880年頃に、サルーンは最盛期を迎えた。 例えば、カンザス州レブンワースには、「約150軒ものサルーンと4軒の卸酒屋があった」[4]

歴史

1880年代前半に、サルーンと醸造所の関係が緊密化した。サルーンの数が過剰になる中、醸造所は自らサルーンを経営する、イギリスの「特約酒場」のシステムを導入し始めた。醸造所は、多くの店舗、特に理想的な角地にある店舗を購入した。そして、調度品とビリヤード台やボウリングのレーンといった娯楽設備を付けて、サルーンの経営を希望する者に店舗を賃貸した。シュリッツ醸造所など、いくつかの醸造所では、顧客を呼び寄せ、自社のビールを宣伝するため、凝ったサルーンを造った[3]

法律も、醸造所が経営するサルーンが増加する一因となった。シカゴの市議会は、酒場対策で強化が必要になった警察に支出するため、1883年から1885年の間に、サルーンの免許料を50ドルから500ドルに引き上げた。しかし個人のオーナーで、そのような金額を支払う余裕がある者は少なかった[3]

政治家も、仕事柄、地元のサルーンに頻繁に通った。読み書き能力が劣る人々にとってサルーンは、仕事や住まいに関する情報の交換に重要な場所であり、経験豊かな政治家は、それらの人々を自分の票田にすることができた。工場地区では、サルーンは給与支払小切手を換金する場所であるとともに、職業紹介所や組合の集会所になった[3]

酔っ払いが女房を殴る姿を描いた禁酒運動の絵

1893年になると、反サルーン連盟(英語版)(Anti-Saloon League)が、サルーン反対運動を始めた。連盟は、1895年には全国組織となり、以前から活動していたキリスト教婦人禁酒同盟(英語版)禁酒党を追い抜き、アメリカにおける最もで強力な禁酒勢力に成長した。連盟は、蒸留酒やビール、ワインの製造や輸入を禁止する法律の制定に向けて、政府の全階層に対してロビー活動を行った。牧師たちは、1906年に連盟の支部が、ユマ、ツーソン、フェニックスに誕生した後、アリゾナ州のサルーンを閉鎖する努力を開始した。連盟のメンバーは、サルーンが閉店時間を違反したり、女性や未成年者にサービスしたという理由で、サルーンの営業免許を取り上げるよう地元の警察に圧力をかけ、かつ、これらの違反を証言する証人を準備した。禁酒運動は、1920年に、合衆国憲法修正第18条が可決され、憲法上、全国的に禁酒となったことで大勝利したが、禁酒法は1933年に廃止され完全に敗北した。

伝統的なサルーンは、禁酒法ができるはるか昔に衰退していた。自動車が客を奪い、ニッケルオデオンも、娯楽の座を争った。平日の禁酒を求める雇い主も増え、保健所も、フリーランチに関する規制を定めた。しまいには、第一次世界大戦時に、ドイツに関係ありそうなものが全て攻撃対象となっただけでなく、醸造が一時禁止になった[3]

フリーランチ

詳細は「w:Free lunch」を参照

フリーランチは、客を引き寄せるために無料の食事を提供して、収益を他のサービスから稼ぐ販売手法である。1870年代から1920年代の文献に登場し始めるが、アメリカ各地のサルーンで一般的な慣習になった。これらの店は、最低1杯の飲物の購入で「無料の」食事を出したが、粗末なものもあればとても手の込んだものもあった。これらのフリーランチは、通常、飲物1杯の値段より高い価値があった[5]。 サルーンの経営者は、ほとんどの客が2杯以上飲み物を頼み、また後日再び客になることを期待していたのである。

形態

サルーンの形態は、できた時期と場所により様々である。街が発展するにつれ、サルーンはより豪華になった。バーテンダーは、外見と、飲物を注ぐ能力を自慢した。初期のサルーンや僻地のサルーンは、最低限の家具だけで、ほとんど装飾もない粗野な雰囲気であった。 そうした建物では、冬の間、薪ストーブで暖を取った。

入口の「スイングドア」は、バネがついて両方へ開く、胸からひざの高さまでのドアであり、典型的なサルーンの特徴の1つであった[6]

西へ向かう旅行者で、その馬車から酒を売った者もいた。そして、「芝(ソッド・ハウス)や古い帆船の船体」といった手元にある材料で建てたり、「丘の側面を深く掘った」だけのサルーンもあった。

町が発展すると、多くのホテルにサルーンが併設され、また、手すりが有名だったオレゴン州ダマスカス(英語版)のバーロウ・トレイル・サルーン(Barlow Trail Saloon)のような独立経営のサルーンができた[7]

サルーンの形態は、民族により特徴があった。 アイルランド系は、酒はウィスキーで、女性は裏口でしかサービスを受けられない、立ち飲みのバーを好んだ。 ドイツ系のサルーンは、より照明が明るく、よりテーブルにレストランの料理とビールを出しそうで、より家族客向けであった。 ドイツ系は、日曜営業や離れた住民のためのビアガーデン営業に関して、しばしば禁酒運動と争った。 他の民族は、サイドボードに郷土料理を並べ、スカンディナヴィア系やユダヤ系ギリシャ系イタリア系のグループは、落ち着ける社交クラブを好み、人前で飲酒することは少なかった[3]

娯楽

アリゾナ州ビスビーのオリエント・サルーンでの賭博風景、1900年頃。C.S.フライ撮影。

サルーンには踊り子がおり、うち何人かは、臨時もしくは常に売春婦も務めていた。多くのサルーンでは、ファロ、ポーカーブラグ3カードモンテ(英語版)サイコロ賭博が行われた。サルーンが繁盛して競争が激化すると、ビリヤードダーツボウリングなど、ゲームの種類が増えた。そのほか、ピアノの演奏、フレンチカンカン、小寸劇が演じられたサルーンもあった。こうした娯楽は、現在、カンザス州ドッジシティにあるロングブランチ・サルーン(Long Branch Saloon)のロングブランチ・バラエティショー(Long Branch Variety Show)で再現されている。

誕生して間もない街にできた最初のサルーンは、しばしば、テントや掘っ建て小屋でしかなく、原料が「純アルコールにカラメル、噛みタバコという自家製ウイスキーを出していた。

ニセ酒(Rotgut)

サルーンの経営者は、利益を増やすため、テレビン油アンモニア火薬カイエンペッパーで良質のウイスキーを薄めていた。それらの特製酒は、「Tanglefoot」「Forty-Rod」「Tarantula Juice」「Taos Lightning」「Red Eye」「Coffin Varnish」といった名前で呼ばれた。その他、テキーラペヨーテ茶を混ぜたカクタス・ワイン(Cactus Wine)や、ウィスキーとブラックベリー酒から造ったミュール・スキナー(Mule Skinner)も出された。サルーンは、「watering trough(飼槽)」「bughouse(精神病院)」「shebang(賭博場)」「cantina(酒場)」「grogshop(居酒屋)」「gin mill(酒場)」としても知られていた[2]

街が発展するにつれ、サルーンは意匠を凝らした作りになり、ボヘミアングラスを出し、壁には油絵が飾られた。酒の品質も良くなり、アメリカ東部やヨーロッパから運ばれたウィスキーが売り物になった。ニセ酒を避けるために、客は「変わった」カクテルを注文した。1881年には、クラレット・サンガリーやシャンパン・フリップといったカクテルが、上位10種の酒の中に名を連ねた。

ビール

大半のサルーンには冷蔵設備がなかったので、ビールはたいてい室温で出された。1880年に、アドルファス・ブッシュ(英語版)が、自分のバドワイザーブランドに冷蔵および低温殺菌法を導入した[2]。 いくつかのサルーンでは、店内の棚に置かれた小さい樽で、ビールを保存していた[8]。 ビールを自家醸造したサルーンもあった。

著名なサルーン

ネバダ州トノパーにあった、ワイアット・アープのNorthern saloon。1902年頃。左側の馬上の女性はおそらくジョセフィーン・アープ。

有名なサルーンには、モンタナ州マイルズシティ(英語版)のファースト・チャンス・サルーン(First Chance Saloon)や、 カンザス州アビリーンのブルズ・ヘッド(Bull's Head)、 コロラド州エルドラ(英語版)のアーケード・サルーン(Arcade Saloon)、 コロラド州クリード(英語版)のホーリー・モーゼズ(Holy Moses、聖モーゼ)、 カンザス州ドッジシティのロング・ブランチ・サルーン(Long Branch Saloon)、 アリゾナ州トゥームストーンのバードケージ・シアター、 ネバダ州バージニアシティのバケット・オブ・ブラッド・サルーン(Bucket of Blood Saloon)、 テキサス州ラングトリー(英語版)のジャージー・リリー(Jersey Lilly)がある。 これらの店の多くは、週7日、1日24時間営業していた[2]

ブルズ・ヘッド

アメリカ西部の逸話の中でも有名な事件が、サルーンで発生している。その1つが、カンザス州アビリーンのブルズ・ヘッドで起こった事件である。居酒屋のオーナー、フィル・コーが、居酒屋の壁にペニスを勃起させた雄牛の絵を描いて、街の住民を怒らせたとき、保安官のワイルド・ビル・ヒコックは、その絵を消さないなら店を焼き払うと脅迫した。そして、その作業する者を雇ったため、コーは怒った。2人は敵同士になり、後日の口論の際に、ワイルド・ビル・ヒコックはコーを殺害した[9]

ワイルド・ビルは、保安官、ガンマン、ギャンブラーであったが、1876年8月2日、サウスダコタ州デッドウッドのサルーンNo.10でトランプをプレイ中に、ジャック・マコールに後頭部を撃たれて殺された。そのときの彼の手札-言い伝えでは、Aのペアと8のペア-は、「デッドマンズ・ハンド」と呼ばれるようになる。

ワイアット・アープのサルーン

元保安官であり、ファロのディーラー、ギャンブラーであるワイアット・アープは、サルーンで働いたり、個人または共同でサルーンを経営した。彼と兄弟2人は、1879年12月1日、アリゾナ州トゥームストーンに行き、そして、1881年1月、オリエンタル・サルーン(Oriental Saloon)のオーナー、ルー・リッカボウ(Lou Rickabaugh)から、マネージャー兼用心棒として働くのと引きかえに、オリエンタル・サルーンにおけるファロの権益の4分の1を得た[10]:41。 ワイアットは、オリエンタル・サルーンでファロ賭博を行う手伝いをしてもらうため、友人であり、保安官かつギャンブラーであるバット・マスターソンをトゥームストーンに招いた。1884年、ワイアットと妻・ジョセフィーン、弟・ウォーレン、兄・ジェームズとその妻・ベッシー・アープは、トゥームストーンを去り、別のブームタウンである、イーグル(英語版)へ行った。ワイアットは、マレイ・イーグル(Murray-Eagle)採掘区で、金を探した。そして彼らは、サーカスのテントの中に、ホワイト・エレファント(White Elephant)という名のサルーンを開いた。 地元の新聞は、男たちに「象を見に来る」ことを勧める広告を出した[11]

1885年には、ワイアットとジョセフィーンは、鉄道開通間近で不動産ブームが進行中であったサンディエゴへ移り、約4年間そこに留まった。ワイアットは、急騰していたサンディエゴの不動産に投資した[12]。 1887年から1896年頃までの間に、彼はサルーン兼賭博場を3軒買った。1つは4番街、他2つは、6番街とE番街の近くにあり、いずれも街の「立派な」場所にあった[12][13][14]。 そこでは、ファロ、ブラックジャック、ポーカー、キノと、ペドロ(英語版)やモンテのようなビクトリア風(英語版)のゲームを含む、21種類のゲームがプレイされた[12]。 ワイアットは、ブームの頂点では、一晩で最高1,000ドルを稼いだ[15]。 また、ワイアットは、5番街のルイス銀行(Louis Bank of Commerce)にあった、オイスターバー(Oyster Bar)を特に好み、経営していた[10]:71

1897年秋、ワイアットとジョセフィーンは、アラスカのゴールドラッシュに加わり、アラスカ準州ノームへ向かった。ノームでワイアットは、1899年の夏の間、食堂を営んだ。そして9月には、チャールズ・エリズワース・ホクシーと共同で、ノーム最初の二階建て木造建物で、最大かつ最も豪華なサルーンである、デクスター・サルーン(Dexter Saloon)を開業した。 この建物は、床が70 by 30フィート (21.3 m × 9.1 m)、天井までの高さが12フィート (3.7 m)と広かったので、様々な目的で使われた[16]

ワイアットとジョセフィーンは、約80,000ドルを稼いで、1901年にカリフォルニアに戻った。1902年2月、彼らは、金が発見されブームが続いていた、ネバダ州トノパー(英語版)へ行った。ワイアットは、トノパーでノーザン・サルーン(Northern Saloon)を開き、J.F.エミット連邦保安官の下で、連邦保安官代理となった[17]。 そしてサルーンとギャンブル、鉱山の権益で、一稼ぎした[18]

ギャラリー

  • Alpine Inn、元・Rossotti's Saloon、カリフォルニア州ポートラ・バレー(英語版)。1850年建築。
    Alpine Inn、元・Rossotti's Saloon、カリフォルニア州ポートラ・バレー(英語版)。1850年建築。
  • Pozo Saloon(右側の建物)、カリフォルニア州ポゾ(英語版)。1858年建築。
    Pozo Saloon(右側の建物)、カリフォルニア州ポゾ(英語版)。1858年建築。
  • Buckhorn Saloon、ニューメキシコ州ピノスアルトス(英語版)。1860年頃建築。
    Buckhorn Saloon、ニューメキシコ州ピノスアルトス(英語版)。1860年頃建築。
  • Kahn Saloon、テキサス州ジェファーソン(英語版)。1865年建築。
    Kahn Saloon、テキサス州ジェファーソン(英語版)。1865年建築。
  • Lone Tree Saloon、ネブラスカ州ブラウンビル(英語版)。1868年頃建築。
    Lone Tree Saloon、ネブラスカ州ブラウンビル(英語版)。1868年頃建築。
  • Long Branch Saloon、カンザス州 ドッジシティ。1874年頃建築。
    Long Branch Saloon、カンザス州 ドッジシティ。1874年頃建築。
  • Summer Saloon、コロラド州フェアプレイ(英語版)。1879年建築。
    Summer Saloon、コロラド州フェアプレイ(英語版)。1879年建築。
  • Crystal Palaceの側面
    Crystal Palaceの側面
  • ニューメキシコ州シェークスピア(英語版)のサルーン(左側の建物)。1880年頃建築。
    ニューメキシコ州シェークスピア(英語版)のサルーン(左側の建物)。1880年頃建築。
  • Red Dog Saloon 、アラスカ州ジュノー。1881年頃建築。
    Red Dog Saloon 、アラスカ州ジュノー。1881年頃建築。
  • Buckhorn Saloon & Museum、テキサス州サンアントニオ。1881年頃建築。
    Buckhorn Saloon & Museum、テキサス州サンアントニオ。1881年頃建築。
  • Spicy Lady、元・Wasatch Saloon、ユタ州ハーバーシティ。1881年建築。
    Spicy Lady、元・Wasatch Saloon、ユタ州ハーバーシティ。1881年建築。
  • Bird Cage Theatre、アリゾナ州トゥームストーン。1881年建築。
    Bird Cage Theatre、アリゾナ州トゥームストーン。1881年建築。
  • Big Nose Kateのサルーン、元・Grand Hotel、アリゾナ州トゥームストーン。1881年建築。
    Big Nose Kateのサルーン、元・Grand Hotel、アリゾナ州トゥームストーン。1881年建築。
  • Echo Saloon、オレゴン州エコー(英語版)。1883年頃建築。
    Echo Saloon、オレゴン州エコー(英語版)。1883年頃建築。
  • White Elephant Saloon 、テキサス州 フォートワース。1884年建築。
    White Elephant Saloon 、テキサス州 フォートワース。1884年建築。
  • 1885年のバー、アリゾナ州チャールストン(英語版)。
    1885年のバー、アリゾナ州チャールストン(英語版)
  • Mint Saloon、コロラド州エンパイア(英語版)。1885年頃建築。
    Mint Saloon、コロラド州エンパイア(英語版)。1885年頃建築。
  • Curry Saloon 、ニューメキシコ州リンカーン(英語版)。1887年建築。
    Curry Saloon 、ニューメキシコ州リンカーン(英語版)。1887年建築。
  • Oxford Saloon、ワシントン州スノホミッシュ(英語版)。1890年建築。
    Oxford Saloon、ワシントン州スノホミッシュ(英語版)。1890年建築。
  • Bodie Saloon(左側の建物)、カリフォルニア州ボディ. 1892年頃建築。
    Bodie Saloon(左側の建物)、カリフォルニア州ボディ. 1892年頃建築。
  • Bodie Saloonの店内。
    Bodie Saloonの店内。
  • Salty Dawg Saloon、アラスカ州ホーマー。1897年建築。
    Salty Dawg Saloon、アラスカ州ホーマー。1897年建築。
  • 1897年のToll Gate Saloonの店内、コロラド州ブラックホーク(英語版)。
    1897年のToll Gate Saloonの店内、コロラド州ブラックホーク(英語版)
  • Jeff. Smith Parlor、アラスカ州スカグウェイ。1898年建築。
    Jeff. Smith Parlor、アラスカ州スカグウェイ。1898年建築。
  • Red Onion Saloon、アラスカ州スカグウェイ。1898年建築。
    Red Onion Saloon、アラスカ州スカグウェイ。1898年建築。
  • 1898年のArcade Saloon、コロラド州エルドラ(英語版)。
    1898年のArcade Saloon、コロラド州エルドラ(英語版)
  • Jack's Bar、元・Bank Saloon、ネバダ州カーソンシティ。1899年建築。
    Jack's Bar、元・Bank Saloon、ネバダ州カーソンシティ。1899年建築。
  • Empire Saloon、アイダホ州カスター(英語版)。1900年頃建築。
    Empire Saloon、アイダホ州カスター(英語版)。1900年頃建築。
  • Discovery Saloon、アラスカ州ノーム。1901年建築。
    Discovery Saloon、アラスカ州ノーム。1901年建築。
  • Blue Ribbon Bar & Grill、元・Estancia Saloon、ニューメキシコ州エスタンシア(英語版)。1903年建築。
    Blue Ribbon Bar & Grill、元・Estancia Saloon、ニューメキシコ州エスタンシア(英語版)。1903年建築。
  • 1905年のShamrock Saloon、ネバダ州ヘイズン(英語版)。
    1905年のShamrock Saloon、ネバダ州ヘイズン(英語版)
  • Sourdough Saloon、ネバダ州 ベイデー(英語版)。1905年頃建築。
    Sourdough Saloon、ネバダ州 ベイデー(英語版)。1905年頃建築。
  • Crown King Saloon、アリゾナ州クラウンキング(英語版)。1906年建築。
    Crown King Saloon、アリゾナ州クラウンキング(英語版)。1906年建築。
  • 1909年のKlondike Dance Hall & Saloon、ワシントン州シアトル。
    1909年のKlondike Dance Hall & Saloon、ワシントン州シアトル
  • 1911年、アリゾナ州エーレンバーグ(英語版)のサルーン。
    1911年、アリゾナ州エーレンバーグ(英語版)のサルーン。
  • Pioneer Saloon、ネバダ州グッドスプリングス(英語版)。1913年建築。
    Pioneer Saloon、ネバダ州グッドスプリングス(英語版)。1913年建築。

脚注

  1. ^ 当時はメキシコ領。
  2. ^ a b c d “Saloons of the Old West”. Legendsofamerica.com (2006年11月16日). 2009年10月5日閲覧。
  3. ^ a b c d e f “Saloons”. Encyclopedia.chicagohistory.org. 2012年11月7日閲覧。
  4. ^ The Week: New York, Thursday, August 13, 1891, pg. 112
  5. ^ "Free Lunch in the South." The New York Times, Feb 20, 1875, p. 4. Re value of the lunch, this source speaks of patrons who "take one fifteen cent drink [and] eat a dinner which would have cost them $1 in a restaurant." http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?res=9407EEDA133EE43BBC4851DFB466838E669FDE
  6. ^ “Saloon Doors, Petticoats and Pistols” (2011年2月1日). 2013年10月1日閲覧。
  7. ^ “Old West Saloons Vintage Photographs ― Damascus, Oregon Saloon”. Legendsofamerica.com (2006年11月16日). 2009年10月5日閲覧。
  8. ^ “Old West Saloons Vintage Photographs ― Orange County, California”. Legendsofamerica.com (2006年11月16日). 2009年10月5日閲覧。
  9. ^ “Home | Cowboys, Native American, American History, Wild West, American Indians”. thewildwest.org. 2007年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年10月5日閲覧。
  10. ^ a b Woog, Adam (February 28, 2010). Wyatt Earp. Chelsea House Publications. p. 110. ISBN 1-60413-597-2. https://books.google.co.jp/books?id=_y9wsnur9R0C&redir_esc=y&hl=ja 
  11. ^ Reidhead, S. J.. “Wyatt Earp, Senior Citizen”. 2011年5月9日閲覧。
  12. ^ a b c Starr, Raymond G.. “Wyatt Earp: The Missing Years, San Diego In The 1880s”. San Diego History Center. 2011年3月8日閲覧。
  13. ^ “Shady Ladies in the "Stingaree District" When The Red Lights Went Out in San Diego”. San Diego History Center. 2011年3月8日閲覧。
  14. ^ Peterson, Richard H.. “The Story of New San Diego and of its Founder Alonzo E. Horton”. San Diego History Center. 2011年3月8日閲覧。
  15. ^ “Wyatt Earp”. San Diego: Gaslamp Quarter Historical Foundation (2005年). 2011年2月28日閲覧。
  16. ^ Barra, Alan (December 1998). Who Was Wyatt Earp?. 49. American Heritage Magazine. http://www.americanheritage.com/articles/magazine/ah/1998/8/1998_8_76.shtml. 
  17. ^ “Earp Historical Timeline San Francisco and Alaska”. 2008年2月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月14日閲覧。
  18. ^ “Tombstone History -- The Earps and "Doc" Holliday”. 2011年2月24日閲覧。

参考文献

  • The Week: New York, Thursday, August 13, 1891 (1891). The Nation, Volume 53. Nation Company 
  • 『図解フロンティア』新紀元社、2014年。ISBN 978-4-7753-1226-1。 

関連項目

アビリーン / デッドウッド / デンバー / ドッジシティ / モゴロン(英語版) / オマハ / トゥームストーン / バージニアシティ

人物

ワイルド・ビル・ヒコック / エルフェゴ・バカ / ブッチ・キャシディ / マンガス・コロラダス(英語版) / カラミティ・ジェーン / ビクトリオ(英語版) / ビリー・ザ・キッド / ワイアット・アープ / バージル・アープ(英語版) / ドク・ホリデイ / バット・マスターソン / ジェシー・ジェイムズ / バッファロー・ビル / キット・カーソン / シッティング・ブル / ジェームズ・C・クーネイ(英語版) / ジェロニモ / トーマス・エドワード・ケッチャム / コーチーズ(英語版) / サンダンス・キッド / クレイジー・ホース / レッド・クラウド / ベル・スター / ブッチ・キャシディのワイルド・バンチ

交通

最初の大陸横断鉄道 / モルモン・トレイル / オレゴン・トレイル / カリフォルニア・トレイル / ポニー・エクスプレス / ショットガン・メッセンジャー / グレート・プラット・リバー・ロード(英語版) / グレート・ウェスタン・キャトル・トレイル(英語版) / チザム・トレイル(英語版)

インディアン

インディアン戦争 / アパッチ戦争 / チリカウア族(英語版) / アパッチ・スカウト(英語版) / ダコタ戦争 / リトルビッグホーンの戦い / ロング・ウォーク・オブ・ナバホ / スカルピング(英語版) / ウンデット・ニーの虐殺

関連項目

リンカーン郡戦争 / アルマの大虐殺(英語版) / OK牧場の決闘 / ロングドライブ / ツラロッサ砦の戦い(英語版) / デッドマンズ・ハンド / ブート・ヒル(英語版) / スケルトン・キャニオン(英語版) / ウエスタン・サルーン / ワイルド・ウエスト・ショー / フリスコ銃撃戦(英語版) / ジョンソン郡戦争 / ブラックヒルズ・ゴールドラッシュ(英語版) / ガンマン / カウボーイ