ウィレム・ルーロフス

ウィレム・ルーロフス
Willem Roelofs
ヨゼフ・イスラエルスによる肖像画(1892年)
誕生日 (1822-03-10) 1822年3月10日
出生地 オランダの旗 オランダ アムステルダム
死没年 1897年3月12日(1897-03-12)(75歳没)
死没地 ベルギーの旗 ベルギー アントウェルペン・ベルヘム地区
国籍 オランダの旗 オランダ
運動・動向 ハーグ派の先駆
芸術分野 油絵水彩画エッチングリトグラフ
影響を与えた
芸術家
ハーグ派
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ウィレム・ルーロフスWillem Roelofs、1822年3月10日 - 1897年3月12日)は、オランダの画家、版画家。

生涯

1822年、アムステルダムで生まれた。子供の時に家族がユトレヒトに移り、彼はそこでAbraham Hendrik Winterから絵を習った[1]。1839年、今度はハーグに移り、美術アカデミーで学ぶとともにヘンドリク・ヘラルド・ファン・デ・ザンデ・バックハイゼン(Hendrik Gerard van de Sande Bakhuijzen)のアトリエで修行した。

1847年、ハーグの絵画協会、「プルクリ・スタジオ」(Pulchri Studio)の立上げに関わった。同年、突然ハーグを去ってベルギーのブリュッセルに移り、そこで1887年まで暮らした。1866年から1869年まで、後にハーグ派の中心人物となるヘンドリック・ウィレム・メスダフを教えた。そのほかにもPaul Gabriëlなどの画家が彼の下で学んだ。1850年、フランスのフォンテーヌブローを訪れてバルビゾン派に魅了された[1]。彼は1852年及び1855年にもフォンテーヌブローを再訪している。1856年、ブリュッセルのベルギー水彩画協会の設立に助力した。

後にハーグ派の中心となる画家たちに大きな影響を与えた。また、1880年秋、ブリュッセルを訪れたフィンセント・ファン・ゴッホに対して、アカデミーへの入学を勧めた。

画業のほかに、昆虫学の研究を行い、甲虫類を専門にしていた。彼はイラスト入りの科学雑誌でその研究を発表したほか、ライデンの自然史博物館(現オランダ国立自然史博物館)のために種の特定を行った。1855年、ベルギー昆虫学協会を設立し、1878年会長に就任している。ゾウムシ科の充実したコレクションは、ブリュッセル自然史博物館の甲虫類コレクションの基礎となった。

作品

  • 「嵐の迫る風景」(1850年)
    「嵐の迫る風景」(1850年)
  • アッブカウデの風景(In 't Gein bij Abcoude、1870年)
    アッブカウデの風景(In 't Gein bij Abcoude、1870年)
  • 「ロープスドレヒト近くの湖」(1887年)
    「ロープスドレヒト近くの湖」(1887年)
  • 「ドゥースブルグのエイセル川にかかる橋」(1889年)
    「ドゥースブルグのエイセル川にかかる橋」(1889年)
  • 「農場近くに舟をつなぐ」
    「農場近くに舟をつなぐ」

脚注

  1. ^ a b Museum van Boijmans Beuningen. “Willem Roelofs”. Collectie Boijmans,nl. 2012年2月17日閲覧。

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、ウィレム・ルーロフスに関連するカテゴリがあります。
  • Willem Roelofs(ヌンスペート美術館、英語)
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